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伊達政宗は眼帯をつけていたのか否か。そしてオッドアイ説へ

伊達政宗といえば独眼竜。眼帯を付けた姿はあまりにもお馴染みです。とはいえ、一般的に刷り込まれているような眼帯姿だったという記録はないのです。

眼帯をしていたのかしていないのか

政宗の肖像画などは右眼も描かれています。政宗は「病のせいとはいえ片目を欠いたことは親不孝だ」ということで「俺の姿を残すなら右眼もいれとけ」と遺言したそうです。とりあえず眼帯姿の絵やら像やらは残っていないわけです。

政宗の眼帯というと刀の鍔を括りつけたものが浮かぶでしょうか。しかし政宗が鍔を眼帯にしていた記録はないらしく、大河などのイメージが定着したようです。一方、布を巻いていたという記述はあるとのこと。

独眼竜(初代)は伊達じゃない

そもそも「独眼竜」という呼び名は後世のもので、本人が名乗ったわけではないようです。中国に独眼竜と呼ばれた李克用(856-908年)という人がいて、それを拝借して政宗のことも独眼竜と呼ぶようになったとのこと。江戸後期の頼山陽の詩に独眼竜と詠まれているのが記述として初見のようです。

一方、李克用の軍が鴉軍(あぐん)と呼ばれる真っ黒軍で、政宗も自軍を真っ黒軍にしていたことから、政宗は李克用を知っていて真似っこしたのではないかという噂もあります。

右眼はあったのか無かったのか

政宗は幼少の折に罹った疱瘡が原因で右眼を失明した、というのが定説です。病によって白濁し飛び出してきた眼球を、守役の片倉小十郎景綱が抉ったという逸話もあります。

ところが遺骨を調べたところ、右の眼窩(がんか。眼球の入っている穴)には異常が見られないとのこと。眼を失ったのであれば痕跡が残るらしいのです。そんなわけで、眼はくり抜かれていない可能性が高いと言われています。

まさかのオッドアイ説

上の結果からいえば失明はしたけどくり抜いてはいなかったというのが妥当でしょうか。ところがどっこい話が発展して、そもそも失明してないのではないかとか、更にこじれて政宗はオッドアイ(左右の眼の色が異なる)だったなんて説まで展開しています。

白人の血が入るとオッドアイになる確率が上がるとか何とかで、母君が異国から来た誰かさんと不倫した結果生まれたのが政宗さんだという何だか胡散臭い話に。輝宗さん(旦那)が純日本人なのにハーフが生まれたら不倫まる出しだろうなんていう細かいことは置いておきます。

そんなこんなで眼の色が違うことを恥ずかしく思って隠していたというのです。今のところぶっ飛び説な感が否めないので何とも言えません。いつかゲームとかに眼帯外したら眼が青い政宗が・・・出るのだろうか。

目玉食べちゃった

秀吉や家康に「眼はどうしたんだい?」と聞かれた政宗は、「木から落ちたはずみで目玉が落ちちゃって、食べちゃった」と嘯いたなんていう話があります。黒い冗談です。

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