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知られざる知性!暗黙知のことについて考えてみよう

1 暗黙知とは

我々は「言葉で表現できないが、それを身体的にはこなせる」とか「なぜわかっているのかがよくわからないがたしかに知っている」というような、言語的に具体化できない知識やノウハウを少なからずその身に宿している。

例えばあなたが自動車を運転できるのは、教習所に通って免許を取得したからに相違ないが、しかし運転動作をなぜ出来るのかを説明するのは難しいのではないだろうか。

自然に手足は動く。いちいち脳で手順を検証などしていないはずである。「なんで運転できるの?」と子供に問われて「うーん、そう言われてもなぁ」という困惑顔の父親を想像してみてもいい。

また、金型職人が見事な手さばきで、ある造形をカンカンとつくり上げるのを見ていて「どうしてそんなに正確に造形できるのですか」と問うてみたところで、職人は「どうしてって、長年の経験と勘だよ」という回答に終始するしかないのである。

そういうたしかにそこにある知識やノウハウだけど、それを言語化して説明できない、無理に表現しても結局「そのもの」の説明にならないような知識を暗黙知という。対義語に「形式知(明示知)=文章化、図式化可能な知識」がある。

2 経験に根ざす暗黙知の価値

対象は機械操作でも、何かの作業でもいいが、どんなに立派なマニュアルがあっても、それを読んだところで一向にそのものの本質がわからないと思ったことはないだろうか。

手順書より、そこにすでにいる人達の知恵や経験と動作を見ていたほうがよっぽど理解がしやすいということがある。

一方、アップル社のiPodやiPhoneのように、分厚いマニュアル類が付属してないのに直感的に操作ができたという経験をした人も多いと想像する。

知識のない者でも、なんとなく触っているうちに物の本質がわかるというのは「つまりこういうことか」と類推出来るだけの暗黙知をその身に宿しているからである(そのことを見越して製品開発を成功させたアップルはやっぱりすごいわけだが)。

この例では、前者から「他者の暗黙知」、後者から「自身の暗黙知」の作用を見て取れる。世の中では、様々なところで人々の暗黙知が数珠のように連なって潤滑剤のような役割を果たしているといえそうだ。

3 ナレッジマネジメント

ナレッジマネジメントとは経営管理上の用語の一つである。ごくごく端的に語ると、個人のもつ暗黙知を形式知に変換して組織内で共有化しようとする手法のことである。

人々の持つ様々な経験知をどうやって共有し、それを組織活動に活かすかということは多くのリーダーたちの長年の懸案であり続けてきた。

しかし、実状として個人の経験によって培われた暗黙知をその経験を経ていない集団で共有しあうというのは容易なことではなく、それをマニュアル化することはほとんど不可能である。

だから、そういう取り組みの多くは「体験談」の共有に終始する。

4 集合知ということをもっと大切に

暗黙知は個人的な知識の蓄積の上に成り立っているが、古来より人々はそれを何とかして他者に伝播させ、後世に残したいと願ってきた。それは宗教や武道、学問や芸事として様々な形で我々の周囲に散らばっている。

だが、どんなに体系化された情報に触れてみたところで、人は自らが体験し、知覚し、考えることでしか真に自分の経験知とし得ることはできないものである。

体系化された情報もしくはマニュアルのようなものは、たしかに他者が積み上げた知見のまとめなのだから、学ぶべきことは多いだろう。だが、それはやはり他者の知見でしかなく、自分のものではない。

それらを消費するだけではつまらないだろう。なんとしても自分の知見を構築してゆく努力が要るのだ。その取り組みの方法として以下のようなことを提案したい。

他者の体験と自分の体験をすり合わせることで、相乗的に知見を高めるということの可能性に意識を向けてみよう。

人との会話は知的刺激をもたらす。対話の中から自分や相手の暗黙知を拾い上げ、互いに知識をよりよいものへ昇華するプロセスがそこにはある。

重要なのはそういうものを文字化や形式化することではなく、互いの暗黙知を拾い上げ合って互いに知的な刺激を得ることだ。目には見えないが、そういう体験が多ければ多いほど人は成長してゆく。

また、集団で物事に取り組む過程で各人の情報をしっかりと共有することで、その集団は集合知を獲得する事ができるだろう。

個人的体験だけでは到底到達し得ないか、到達できても相当な時間と労力を要することを、集合知はごく短期的に可能とする力を持っているのだ。

そういうことを踏まえて、毎日のコミュニケーションで得られる他者の知見に謙虚に耳を傾けることをおすすめしたい。

自分と考えの異なる人や自身の未経験の体験を持った人との交流が大切なのは、まさにその相乗効果を高めるため、自身の経験知を高めるのに有効だからである。

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