> menzine028
カテゴリイメージ

伊達政宗は眼帯をつけていたのか否か。そしてオッドアイ説へ

伊達政宗といえば独眼竜。眼帯を付けた姿はあまりにもお馴染みです。とはいえ、一般的に刷り込まれているような眼帯姿だったという記録はないのです。
カテゴリイメージ

豊臣秀吉の兵糧攻めその弐。戦慄!鳥取の渇え殺し

兵糧攻め第二弾。今度は鳥取の渇え殺しについてです。三木城には2年も費やしましたが、鳥取城は4ヶ月ほどで落とされました。三木の干殺しから秀吉もいろいろ学んだのです。とはいえむごいことに変わりありません。
カテゴリイメージ

弟さんが目立ち過ぎて影の薄くなりがちな真田信之

真田信之(信幸)は日本一の兵と謳われた真田信繁(幸村)のお兄さんです。松代藩の祖となった信之お兄さんは結構頑張っているのに親父さんやら弟さんやらより知名度の低い感が否めません。 真田昌幸を父に持つ信之
カテゴリイメージ

川中島の戦い。一騎討ちはファンタジーの領域

戦国時代の合戦でも屈指の認知度であろう川中島の戦い。一般的に5回戦まであったと言われますが一騎討ちで有名な第4次以外は小競り合い程度です。しかも一騎打ちは無かった可能性が高いと言われています。
カテゴリイメージ

天正遣欧使節の長い長い船旅。帰ってくると禁教令

1582年2月、天正遣欧使節は旅立ちます。しかしその数カ月後、キリスト教に好意的だった織田信長は本能寺の変で討たれ、使節団が帰国したときには豊臣秀吉によって禁教令が布かれていました。
カテゴリイメージ

そんなに悪いことしてないかもしれない梟雄松永久秀

主君殺し、将軍殺し、大仏丸焼きと信長も大絶賛の悪党、松永久秀。果ては自爆してこの世を去ったというぶっ飛んだ人です。しかしそんな彼の数ある武勇伝にも諸説あるのです。
カテゴリイメージ

信長様と光秀。褒められたり痛めつけられたりな日常

織田信長のもとで城持ち大名にまで駆けあがる光秀さんの、褒められたり怒られたりする逸話です。信長さんは難しいお人なのです。
カテゴリイメージ

さまざまな人を巻き込んだ豊臣秀次の切腹。その原因と結末は

豊臣秀吉は正室のねねさんのほかに側室を十人以上持っていたようですが、なかなか子は出来ませんでした。やっとこさ息子が出来たものの、間が悪いというか何というか、大惨事に発展してしまいます。
カテゴリイメージ

秀吉と勝家の賤ヶ岳の戦い。七本槍いえるかな

本能寺の変で織田信長を討ち取った明智光秀を山崎の合戦で討ち取った羽柴(豊臣)秀吉。そんな秀吉と柴田勝家は賤ヶ岳(しずがたけ)にて戦います。
カテゴリイメージ

美濃のマムシ斎藤道三。僧だったり油売ったりは先代?

斎藤道三(利政)は下剋上の典型の人として知られていますが、その偉業は親子二代に渡って成し遂げたという説が定説となってきています。 定説だった説 妙覚寺の僧から油売りとなった松波庄五郎は銭の穴を通して油