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エロチャラ文化の元祖は石原慎太郎だった!

昭和30年、石原慎太郎、小説家デビュー

皆さん、石原慎太郎という人を知っていますか?そうそう、あの例の「暴走老人」ですよ。ついこの前まで、東京都知事もやっていましたね。東京都知事は4期も務めましたが、4回の都知事選はいずれも圧勝でした。

しかし、どうしてこの人こんなに人気があるのか、不思議に思った人もいるんじゃないですか?この人、団塊の世代以上の高齢層に非常に人気がある。その理由は、今から60年近く前、昭和30年にさかのぼります。

今でこそ暴走老人、超タカ派政治家として名が通っている石原氏ですが、この人が最初に有名になったのは、小説家としてだったんですよ。当時、一橋大学の学生だった石原氏は、いきなり「太陽の季節」という小説でデビューし、いきなり超ベストセラー作家になってしまいます。

有名国立大学の学生で、家は裕福なおぼっちゃんで、ルックスもかっこいい。今で言うと、嵐の桜井翔が村上春樹みたいな小説を書いていた、みたいなもんかな。その人気は小説の域を超え、映画にもなり超絶大ヒット。そして、「太陽族」という当時の若者(今の団塊世代)の流行をリードする社会現象までなったのです。

それで現在に至るも、団塊世代オーバーのおじさん、おばさんに絶大な人気があり、都知事選も圧勝。ということになっているのです。

当時の若者の憧れだった「石原慎太郎の太陽族」

さて、では小説「太陽の季節」とは、どんな内容だったのか。ざっくりとかいつまんで説明すると、当時の横浜、湘南を舞台に、大学のいいとこのぼっちゃんを中心にしたエロい青春小説。というところですか。

ええと、この小説に出てくる若者は、大学生にもかかわらず、横浜のナイトクラブで酒を飲んで、乱痴気騒ぎや喧嘩をしたり、湘南海岸でヨット、オープンカーなどを乗り回し、女子をナンパしてエッチしちゃったりと、やりたい放題。

当時の決まり文句でいうと、「無軌道な若者たちの群像」みたいなことですか。サングラスにアロハシャツなんていうファッションもものすごく受けたのです。

こう書いても、今の時代ではピンと来ないかもしれませんが、まだ戦争から10年くらいしか経っていなくて、貧乏、真面目な若者が多かった時代には、この若者群像は、ものすごくショッキング、衝撃的な内容だったのです。

不良おぼっちゃんの世界を書いた「太陽の季節」

なにせ、その10年位前までは、若者は「神風特攻隊」で「お母さん、僕はお国のために死んでまいります」なんて教育されていたのが、いきなり、くわえタバコで、洋酒をラッパ飲みして、外車を乗り回して、女の子コマしちゃっていいんです!(川平風)

そして、当時の若者(今60歳オーバー)のヒトたちは、これに結構カブれて、皆、サングラスをして、バミューダパンツを履いて、アロハを着て、湘南の海に繰り出し、女の子をナンパするようになりました。

横浜がかっこいいとか、湘南の海がイカシテルとか、そういうイメージになったのも、皆、元はといえば、この暴走老人石原慎太郎氏の「太陽の季節」がはじまり。それで、のちのちサザンオールスターズとかチューブとか湘南サウンドとかね、そういうふうに発展した訳です。

兄慎太郎、弟裕次郎

この「太陽の季節」。慎太郎氏は、不良学生だった弟の石原裕次郎の体験談を元に書いたらしい。裕次郎は、知らないヒトもいるかもしれないけど、その後、超人気映画俳優になり、これまた団塊オーバー世代の憧れの的になったヒト。

慶応大学の学生だったけれど、不良でどうしようもなくて大学を中退。しかし慎太郎が超有名作家になったこともきっかけになって、映画界入りし、昭和30年代前半、次々と「青春映画」に出て、人気スターになった。「おいらはドラマー」とかね。

皆さんが、かすかにご存知なのは、刑事ドラマの「太陽にほえろ」のボス役くらいかなあ。あの時は、もうすっかり中年太りのおじさんだったけど。

もともと、若者文化にエロを持ち込んだのは慎太郎氏

慎太郎氏は、その後、政治活動の方が主となり、のちに、若くして「防衛庁長官」になったりしたんですが、あまりのタカ派ぶりに、当時の自民党のエライさんたちも手を焼いたとか。

都知事になってからは、「最近のエロ漫画の横行は許さん!」とかで、規制の都条例を作って、出版業界を敵に回したエピソードなんかも記憶に新しいところです。

だけどね、石原さん、もともと若者文化をエロに走らせた張本人は、あなただったんじゃないですかねえ。とか言いたくなる。もう60年近くも前の話だから、皆忘れているかもしれないけど、覚えているヒトは覚えていますよ。

と言っても、このヒト、聞く耳もたないだろうなあ。「何を言うか、このチンピラがあ!」とか一喝されそうですね。