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「縁尋機妙」の結婚観に覚醒し、円満夫婦でいるために出来ること

離婚が増え続けていると聞いています。なぜなのでしょうか。別れ話が出たときの対処法、なんていう目先のテクニックでは、何も解決しないと思うのです。もっと根本的な部分で、「結婚とは何か」ということに、男女ともに、もっともっと理解を深めていくことが肝要です。

一緒に苦労する覚悟がない

知人の公証人が嘆いていました。離婚が多い。とにかく多い。それもちょっとしたことで、すぐに別れてしまう。「夫の責任、妻の責任、それぞれを果たそうとする決意が、まったく乏しいんですね」と語っていました。

「楽をしたい」ために結婚する人がいるようです。昔はそうではなかったでしょう。「あなたとなら、どんな苦労もいといません」と言って、お互いに一緒に苦労をする覚悟で、夫婦の契りを結んだはずです。そもそも人生には各種の苦労がつきものであるというふうに、誰もが思っており、その心構えが出来ていたようにも思われます。

夫婦になる意味が分からない

それが今はちょっと雰囲気が違いますね。未婚の人の本音を聞いてみると、

「所帯を持っても、独身時代と同じように遊びたい」
「拘束されるのは嫌だ」
「気ままに外出出来ないのはつらい」
「子育ての負担が恐ろしい」
「我慢してまで夫婦になる意味が分からない」
「連れ合いの家族との付き合いが不安」
「性的な自立も大切」

などと際限がありません。最後の「性的な自立」って何ですかと聞いたら、要は好きな人と好きなときにハグしたいのだそうです。

雨降って地が固まらない

件の公証人は、相談に来た夫婦にこう言うそうです。「家庭を維持するためには、ある程度の忍耐は欠かせない。別れることはいつでも出来る。なるべく元の鞘に戻りなさい」と。

ところがなぜか2人は、和気藹々とにこやかな顔つきで話し合いながら、さしたる決定的な理由もないままに、自由を求めて離婚していく例が少なくないのだそうです。「昔なら、雨降って地固まるところ、今は一度雨が降ったらそれでおしまいなんだよね」と、いとも寂しそうな顔で言いました。

恋愛感情だけが愛なのか

人生の「縁」と言うか、「運命」と言うか、そういうものを厳粛に受け止めようという態度がないのです。お互いに飽きてしまえばサヨナラですから、さっぱりはしています。女性だって1人でも立派に暮らしていける、そんな平和で豊かな時代だから、逆に人間の精神に粘りがなくなり、腰が弱くなったのかもしれません。

人間関係の濃さが半減して、利害関係という理性的な部分ばかりが意識され、愛情といった情緒的な側面は、目に見えないだけに軽視されてしまっているのでしょうか。

石の上にも三年なんて、死語になり果て、三年目の浮気のほうにリアリティーがあるようです。人間関係から恩も義理も抜け落ち、一時的な恋愛感情だけが「愛」だという誤解が蔓延しているとも言えましょう。

偶然と必然は同じこと

「縁を尊ぶ」ということは、実は自分自身を尊ぶことと同じです。偶然に頼って生きるという姿勢は、命を無機質と同一視することにつながっていきます。

「偶然」ってどういうことなのか、深く考えたことがありますか?あなたが人間なのは偶然ですか?日本人なのも偶然ですか?あなたの連れ合いは、あなたの子供は、あなたの会社は、あなたの大好きないくつかの趣味は、全て偶然の出会いでしたか?

偶然と必然というのは、よく考えると、同じことの両側面にすぎません。全ての結果には、そうなった原因があると言えますから、一見偶然に見えても実は必然なのです。

運命と縁の世界に参入する

偶然と必然をアウフヘーベン(止揚)して、「運命」と称し「えにし」と呼ぶのです。つまり出会いを大切にして、人と人との関係性を大事に思う心が「縁」という思想になります。そこに前世の観念を持ち込めば因縁生起思想になりますが、仏教でなくても「縁」を尊ぶ生き方は大いに可能なはずです。

この世を動かしているものはたまたまの偶然ではないし、物理的な偶然の連続だけでもなくて、「運命」であり「縁」なのだと受け止められれば、その人の思考の道筋が変わり、人間が分厚くなっていきます。

豊かな情緒的生き方はそこからスタートするのです。あなたの隣の席に「神秘的なもの」が座って、単純思考から複合思索へと質が変化します。偶然の中に必然があることに気づくことが最初です。

全ての出会いに感謝する勇気を持とう

恋の熱が冷めたら離婚、というのは子供のダダこねと同じようなもの。人間の何たるか、宇宙の何たるかを知らぬ者の所業です。出会いの背後にある「神意」を知れば、夫婦生活の味わい方も自ずと変わっていきます。

宇宙は単なる物のかたまりではありません。生命を単なる化学反応の連鎖としか見られないのは、魂の劣化です。「縁尋機妙」とは、全ての出会いに感謝する魂の姿勢を言います。菩薩との邂逅も、地獄との邂逅も「縁」です。自分の縁を厳粛に受け止めて、縁と共に生きていく勇気を持ちたいものです。

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