「挫折受入型」と「挫折拒否型」を解析し深く生きることのススメ
挫折のとらえ方には、二通りあるようです。
「君、挫折した経験はありますか?」と聞くと、「はい。しょっちゅう挫折しています」と回答するタイプが一つ。
「挫折ですか。冗談でしょう。本当に挫折なんかしたら生きていませんよ」と回答するタイプがもう一つです。
人生における挫折とは何なのでしょう。そのとらえ方を考えてみましょう。
挫折大好き人間の特徴と欠点
気楽に何度でも挫折するタイプの親爺は、肥満型で楽天家、ステテコで外を歩き、何事にも太っ腹で無神経です。だから、何か始めたと思ったら、翌月にはもう挫折しています。
やたらとプランばかり立てて、すぐ気が変わり、明日にはもう別の目標を立てたりします。ほとんど挫折大好き人間ですから、癖になった挫折の数に埋もれて、「挫折が怖くて生きて行けるかよ」と鼻息は荒いのですが、周囲の人たちはこれに結構な迷惑をこうむっているものです。
そんなタイプの人は、得てして人間関係にも永続性がありません。仕事も恋愛も、何をやっても「そろそろ挫折かなあ…」とすぐ暗い影が差してきます。本人は案外、甘い挫折感に酔っていたりして、メランコリーな気分が好きときているから気軽なもの。でも傍目にはみっともないだけでしょう。押入れを開けたら、挫折グッズがドサドサッと転げ出てくる、何とも鬱陶しい過去です。
絶対挫折しないタイプの人はコワイ
反対に、挫折拒否タイプのオヤジは、考えの筋道がきっちりしていて、柔らかい考えに馴染めないのです。ひとたび挫けたら、トコトン挫け切ります。全身全霊を粉砕してしまわないと、とうてい納得できないみたいです。
神経質で痩身で目がギラギラしており、思い込みも激しく純粋なため、融通がちっとも利かないのです。いつも何か重い使命感を背負っている感じで、世相を慨嘆し、陰湿ですからちょっと付き合いづらい性格であることが多いようです。
プライドが高く責任感に溢れていますので、人の面倒もよく見ますが、批判されたりすればカッとなります。下手に逆らったりすれば敵視されてエライ目に遭いますから、要注意です。
人は誰でも挫折する
貴方は、「挫折受入型」と「挫折拒否型」の、どちらに近いでしょうか?
普通の人は中間的な所に位置しています。何かと自分流の「こだわり」があって、それが捨て切れずに詰まらないところで意地を張って損をしたりもするでしょう。それはその人の、挫折拒否型に近い部分のあらわれです。
挫折拒否型はやや重苦しい性格に見られやすいものですが、実は正義感が強く心が豊かで人間愛に満ちており、涙もろかったりするので可愛いところもあります。そして人は、程度の差はあれ必ず挫折します。
挫折してこそ人生は価値がある
ひとつ要注意事項を紹介します。
誰でも、挫折はしたくないものです。だからといって、挫折しないように予防線を張り巡らす小心者というのは、世間の人に嫌われがちです。その慎重さが他人へのバリアになってしまい、自分自身を小さく縮こまらせてしまうのです。そういう人は、とかく窮屈で退屈な印象になります。もしそういう人が近くにいたら、「いっそ思い切って挫折してしまいなさい」と助言してあげましょう。
なぜかと言えば、一度も挫折しない人生など、何の足しにもならない駄作の物語だからです。生きるということは、物語を創っていくということにほかなりません。主人公は自分です。折れない人間というのは、一直線だけが正しいと信じているのかもしれませんが、何と愚かな考えでしょう。物語は折れ曲がっていてこそスリルもあり、感動もあるストーリーになるのではありませんか。
心に味わい深い出汁を蓄えるために
何度か折れ曲がってこそ、本当の物語であり本物の人間です。
あちこちに曲ればこそ、それまで見えなかった人生のいろいろな風景にも出会えるのです。
人生は旅です。曲がりくねってこそ愉快なジャーニーです。各地を飛び回ったほうが、さまざまな人に出会い自分を変えていくこともできて得です。
人間も中年を経て熟年と言われる年になったら、頼れる親爺でありたいもの。頼れる親爺とは、幾つもの挫折を経験し、人生の苦さをたっぷりと味わい、脛に負った傷は数知れず、それにもかかわらず人の世の理想を忘れずに抱き続け、謙虚な心栄えをもって若者にも接することのできる親爺のことです。
別に理想像を述べているのではありません。誰だって真剣に生きていけばそうなれるはずです。成功者になり勲章を獲得する必要など全くありません。幾つかの挫折を通じて人の痛みを知り、心に味わい深い出汁(だし)をたっぷりと蓄えてさえいればいいのです。