自分が悪かったと解釈し、どうしても許せない人を許す方法
あなたにはどうしても許せない人がいるだろうか?わたしは昔いました。長い人生ですから、生きていれば、大なり小なり誰もがこのような経験はしています。
その程度の差はあるでしょうが、憎しみや恨みに支配されるほど、苦しい感情に取り込まれてしまっている人もいるかと思います。
かのマハトマ・ガンジーは「弱い者ほど相手を許す事が出来ない」と言いました。つまり復讐や憎しみの先に得るものは破壊しかないため、建設的に生きる力を身につけよという教えなのだと思います。
人間関係というのは利害関係でおもに成り立っており、自分に利益があるものは愛で、害のあるものは憎しみあうという傾向があります。
つまり、相手がどのような人間であれ、双方に言い分はあり、双方が正義であり悪であると言えるため、そういった感情にとらわれる事は人生を無駄に生きている事に他ならないという事になるわけです。
人の心をプラスにもマイナスにも動かすのは「利益」ただそれだけなのです。今日は自分が悪かったと解釈し、どうしても許せない人を許す方法についてお話ししようと思います。
どうぞ最後までおつきあいいただきまして、すばらしい人生を歩まれてください。読者のみなさんが、少しでも憎しみから解放されれば、幸いです。それでははじめようと思います。
憎しみから解放されるために生きる
やられたらやり返す・・・などという表現をする人がいますし、実際に相手が壊れるまで復讐をやめない人もいます。
わたしも些細な事から誤解され、めちゃくちゃな誹謗中傷をされた事がありました。わたし自身は、相手を助けるために動いていたので、ショックのあまりかなり傷つきましたよね。
しかし、相手は自尊心が傷つけられたと、わたしのあらゆる情報をかき集めて、それをすべて否定するような型を作り、根も葉もない噂を作り上げ誹謗中傷するという事をしていました。
わたしは仕返しはしませんでした。やってしまうと、人間としてもっとも下等だと思える彼等と同じレベルまで自分を落としてしまう事になります。
それに彼等を見ていて、とても醜く哀れに見えたので、こういう人間には絶対になりたくないなと思ったんです。ただ、自分の怒りの矛先をどこに向ければ良いか分からず、かなり苦しみはしました。
黙っていたら更に影で言い返せない腰抜けなどと言われていたようで、どういう風にこの感情を処理していいのかが分かりませんでした。
恋人と甘い時間を過ごしていても、友人達と思いっきり笑い合うような話をしていても、仕事が尋常じゃないほど忙しいときでも、お風呂に入っていても、食事をしていても、常にその感情と闘っているといった感じでしたね。
憎しみに支配されないように、必死で笑顔を作ったり、プラス思考になれるように外に出たり、素敵な人と話したりもしました。
理屈では無駄な時間だと分かっていても、この葛藤を乗り越えるのは非常に難しく、まともに向き合っていると、心身すり減らす状態にまで衰弱する事もあるでしょう。
わたしは憎しみに苛まれないように、自然に触れたり、仕事に没頭したり。なるべく人と関わらないようにしました。
人間というのは、利益を与えられている時は良いのですが、不利益を与えるようになってしまうと、途端に態度を変え、豹変する生き物です。
もちろんその先にある関係も存在するのですが、一生のうちにそうゆう人にであえるのは極少数だと思います。なので強制的に変える技術が必要になってくるわけです。それを以下で後述します。
一旦自分の問題にしてみる
人間関係において、どちらかが一方的に悪いなどと言う事は絶対にありません。喧嘩両成敗という言葉があるように、どちらも正しく、どちらも悪いのです。
いや、悪いのはあいつだ・・・自分は何も悪い事はしていない・・・というのは、自分本位の視点からしか見えていないため、相手の言い分が分からないだけであって、気づかないうちにあなたも相手を傷つけているケースはあるのです。
基本的に、人間関係のいざこざは不理解から生まれています。相手を傷つければ、自分も傷つけられる。相手を大切にすれば、自分も大切にされる。これは絶対普遍の原理なのです。ただ、例外として、人間にはいろんな人がいて、自分の問題を他人に転嫁するような人もいます。
たとえば、秋葉原無差別殺人事件の容疑者である加藤容疑者などは、日本の将来を悲観し、自分の可能性にも絶望していました。
その結果、死傷者17名という壮絶な惨劇を生み出しました。これは完全な責任転嫁であり、人災だった。こういう例外は運が無かったと思うしかありません。
しかしながら、ほとんどの問題は自分に問題があって、その問題を処理する能力がなかったと思う事で、憎しみからはかなりの確率で解放されると思います。