思い込みから脱出する事で自我を解放する行動術
多くの人は・・・とゆうよりもほぼ全員と言って良い程、人間というのは、自分の価値観で生きており、100人いたら100人共その価値観は異なります。それが血のつながった両親であれ、兄弟であれ、親友や伴侶であれ、異なります。
なので、人は衝突するし、理解しあえずに、それが憎しみに発展したり、喧嘩や人種差別、いじめや対立など、大規模になると戦争やテロなどと言ったものにもなるわけです。
なので、それを法律やルール、社会常識といったもので強制的に縛るわけですが、同じ日本人同士でもその枠内で生きる事は苦しい人が多いのに、これが国境を越えるとまったく別のものになりますから、まあ一致するわけなどないわけですね。
今日は思い込みから脱却する事で、自我を解放する行動術についておはなししようと思います。どうぞ最後までおつきあいいただきまして、すばらしく自由な人生を歩まれてください。それでははじめようと思います。
思い込みはどのように作られるか?
思い込みというのは、人が体験した過去の記憶から、次もこうなるだろうという予想の事をさします。つまり、体験した事の違いで、その思い込みは白にも黒にも成りうるものだと言う事です。わたしの知り合いでこういう人がいました。
彼は、自分の頭で何かを考える事が出来ず、他人の噂を収集して、その噂で他人を判断するという事をしていたのです。
人の意見というのは、それがどのようなものであれ、あくまで主観に過ぎず、事実ではありません。その人にはそう見えたというだけの話であって、それが事実とはほど遠いわけです。
彼は、すべてを知っていると言っていたのですが、それはただの他人の主観の集積であって、それは事実でもなんでもないわけです。
結局彼は、噂を拡げるスピーカーフォンとして、その場所に滞在し、自分自身は噂をたてられる事におびえ、バッターボックスに立つ事すらせずに、こそこそと動き回っていました。
彼がなぜこのような行動に出るかですが、彼もまた過去に騙された経験があるのだと思います。騙されて傷ついた経験があるため、次は馬鹿をみないようにという、自己防衛本能が働き、他人のフィルターで対象となっている人間を判断する事で、自分を守っていたのです。
それで守れる事もあるのかもしれませんが、同時に大事な縁も失っているわけです。彼が厄介なところは、そのフィルターで対象を見るために、どうにかしてその噂を実現してやろうという感じで見ているわけです。
わたしの友人がこれにはめられてしまい、彼に人生を壊されてしまい病気になってしまいました。そして彼の更に厄介なところは、ニコニコ心配しているふりをして近づき、情報を搾取し、それを流し身内内だけで対象の人間を誹謗中傷しあい、更にイメージを悪化させるという事をやっていました。
そして彼自身はその人に手を差し伸べ、紳士的な態度をとっているわけですから、わたしもこの話を聞いた時は、人間不信になりそうでした。とても醜過ぎるというか、ひとりでもこういう人がいなくなればなと切に願います。
これでわたしの中には、こういう人もいるから、人付き合いをするには十分に注意しなければならないというフィルターが出来てしまった。つまり思い込みです。
このように、偏見が一人歩きし、どんどん人から人へとひろがって行くわけです。劣悪で下等な人間から脱却するには、これに流されない人間にならないといけないのです。
どのように思い込みから脱却するか?
わたしの友人で、誰からも愛される人がいます。彼女に、新しく人と付き合う時、どのようにやっているのか聞いてみたんですが、彼女はこう答えました。
「最初から噂や偏見で決めつけて接すると、その人の本来の良さまで奪ってしまうから、思い込みでは見ないようにしている。仮に噂通りだったとしても、自分の人生経験が足りなかったと、反省して次につなげるだけだよ」
そう笑顔で答えてくれました。まさに理想的な答えであり、彼女はこのように人と接する事が出来るから、オープンで、誰からも愛され、人がよってくるんだと思います。人の強さや魅力というのは、結局こういうところに終始すると思うのです。
勘ぐって、噂を流す、破壊工作ばかりと自己保身の事しか考えていない人間よりも、こういう何かを作り出す、力を持った人間はやはり圧倒的に魅力的に輝いて見えるものです。思い込みから脱却するには、たくさん経験するしかありません。
いろんな人と出会って、こういう人もいる、こんな人もいるという風に学習していくのです。
いろんな人と出会ううちに、今までの人間は全部こうだというのは偏った思い込みでしかないんだなという結論に達します。ここまで来る事が出来れば、彼女のような優しさと強さを手に入れる事が出来るのです。