起こっている出来事は全てが必然と考えたほうが良い?ツキを呼ぶ思考
起こっている出来事は偶然なのでしょうか?それとも必然なのでしょうか?実は起こっている出来事は必然と考えたほうがツキを呼ぶのです。
身の回りに起きる様々な出来事。それらは全て外的な要因です。そんな外的要因は偶然と捉えるべきか、必然と捉えるべきかで、ツキを呼ぶかどうかが変わってくるのです。
それは、運をつかむ能力があるかという事に関係します。では、それぞれどのような違いがあるのでしょうか?
起こっている事を偶然と捉えた場合
起こっている事を偶然と捉えた場合は、その主体は自分ではなく外的要因になってしまいます。
交通事故に遭ったとか、偶然嫌な人に会ったとか、宝くじに当たったとか、良いことも悪いことも偶然で、それら自分ではどうする事も出来ない事に対して一喜一憂しなければなりません。
偶然事故に遭って災難だった!とか、偶然嫌な人に会って気分が悪かった!とか、偶然宝くじに当たって嬉しい!とか。様々な出来事に対して毎回一喜一憂する事になってしまいます。
良いことが起きた場合は受け入れやすい反面、悪いことが起きた時に上手く感情をコントロールしにくいのです。
起こっている事を必然だと捉えた場合
逆に、必然だと捉えた場合は、発想の主体は自分にあります。外的要因は必然な訳ですから、絶対に変える事が出来ません。変えられないのであれば、自分の捉え方を変えるしか方法がないのです。
先ほどの例で言いますと、突発的な事故に遭ったとしても、それが必然であれば、災難だと思うか、今後気をつける良い機会になったと思うか、事故に遭った人が必然に対して感情や思考を付け足しているにすぎないのです。
突然嫌な人と遭遇しても、それが偶然と考えると、他の道を歩けば良かったと後悔する事になりますが、必然と考えると、後悔のしようもありません。変えられない事に対して感情を勝手に付け加えているのはその人自身なのです。
必然だから嫌な人に会うようになっていた。ただそれだけの事ですから、マイナス感情を抱く必要自体がないわけです。
逆に、宝くじに当たる事も必然であれば、必要以上に喜ぶ事もありません。最初から決まっていただけの事だと思いましょう。
よく、宝くじが当たるとかえって不幸になる人が多いといいます。それは、今までのお金の使い方の自己イメージが出来ている人に突然大金が入ることによって、大金持ちになった事のマインドが準備出来ていないからです。
その状態で大金が手に入ったがために、派手に浪費癖がついてしまったり、自己実現の場であった仕事を辞めてしまったり、お金持ちになったことを人に自慢して、宝くじに当たったという情報が流出して嫌な思いをする機会が増えたり。
そういう事にならないために、宝くじに当たった事も必然と思っておけばいい訳です。最初から当たることが決まっていたのであれば浮かれる必要もなく、浪費にも歯止めが掛かりますし、人に自慢する必要もありません。
全ての出来事が必然だと思っておけば感情に左右される事がなく、安定した気持ちで冷静な判断が出来るでしょう。そして、冷静に物事を俯瞰して見ることによって、感情に竿されていた時には気づかなかったチャンスに気がつく事が出来るでしょう。
チャンスを冷静につかめる人は、常にツキがある人です。偶然を偶然と思わず必然と考え、自分の周りに起きている流れを冷静に判断してツキがある生活をしましょう。