「あの人は他人に恨まれるような人ではない」なんて人は存在しない
他人に恨まれない人が殺された?
殺人事件が起き、被害現場状況から物盗りや通り魔の線は薄く、怨恨の疑いが強くなる。被害者をよく知る知人に聞いてみると、誰もが異口同音に「あの人は他人から恨まれるような人ではない」と答える、なんて映像をテレビのニュースやワイドショーなどで見たことがあるだろう。
だが、他人から絶対恨まれない人なんているだろうか。結論から言えば、そんな人はいない、と断言できる。これは、人間誰しも欠点はある、という問題ではない。いやむしろ「他人から恨まれるような人ではない」からこそ他人から恨まれる、ということも多々あるのだ。
完璧な人間が恨まれるパターン
例えば殺されたのがA男という男子大学生だったとする。A男は成績優秀でスポーツ万能のイケメン、そのうえ性格は抜群で友達も多く、男女を問わず学園の人気者だ。非の打ち所が無い、という言葉はA男のためにあるようなもので、欠点など見当たらない。A男を嫌いな人間なんていないのではないか、と思えるほどだ。
一方、同じ大学にB助という学生がいる。こちらはA男とは正反対で暗い性格、誰にも相手にされず友達もいない。しかも大学一の美女であるC子に勇気を振り絞って告白するも、あっさりフラレてしまう。さらにC子がA男と付き合うようになった、なんてことになれば、話はヒジョーにわかりやすくなる。
誰もが羨むイケメンと美女のカップル、ここまでお似合いだと普通は嫉妬の感情すら起きないが、B助にとってはそうはいかない。A男に欠点の無いことがかえってコンプレックスとなり、逆恨みしても不思議はない。
しかも、自分がC子にフラレたのはA男が妨害したからに違いない、と自分勝手な妄想を膨らます。A男とはそんな卑怯な男なのに、キャンパスの人気者ということは、人々を騙す偽善者のようなものだ、と思ってしまい、俺が成敗してやる、なんてことを考えるだろう。
自分が女にモテず、友達すらできないのは全てA男のせいだ、なんて思い込んでしまうと、歪んだ憎悪が募るばかりだ。さらには、A男さえいなくなれば、C子は俺に振り向いてくれるだろう、などと有り得ない妄想までしてしまう。
かくしてB助はA男を殺害してしまうが、怨恨による殺人の可能性が強くなっても、捜査線上からB助の名前は上がってこない。当たり前である。A男とB助にはなんの接点もないから、B助がA男を恨んでいるなんて誰も知らないのだ。何しろB助は勝手な妄想でA男を恨んでいるだけで、友達のいないB助の心情など誰も知らない。
唯一の接点はC子にフラレたことぐらいだが、まさか告白失敗程度で殺人を起こすとは誰も思わないし、そもそも美人のC子にフラレた男など数知れないので、B助はその他大勢の存在でしかないのだ。
先入観が真実を見失う
こんな時に捜査は難航する。A男の周辺を洗っても、A男を恨んでいる人なんて誰もいないのだから、やはり怨恨の線は捨てるべきではないか?と考えてしまう。しかし、むしろA男が「他人から恨まれるような人ではない」からこそ、B助から異常とも思える恨みを買ったのだ。だがそれはB助の心の中にのみある感情で、警察はもちろん周りの人にもわからない。
被害者が「他人から恨まれるような人ではない」からこそ、怨恨の線を徹底的に洗い出すべきだろう。先入観にとらわれてしまうと、真実を見誤る危険性がある。これは殺人事件を捜査する警察だけではなく、普段は凶悪犯罪に縁がない我々も肝に銘じるべきと言える。