今では信じられない・・・!? 昭和では常識だった、現代の非常識
昭和が終わりを告げたとき、あなたは何歳でしたか?
昭和天皇(当時は天皇陛下)が崩御されたのが、昭和64年が明けたばかりの1月7日。1989年のことです。
そのころ流行っていたのは…たとえば「24時間戦えますか」のCM。黄色と黒は勇気のしるしのアレです。流行語大賞にはほかにも「セクハラ」という言葉が生まれたのがこの時代。
「1Q84」が爆発的にヒットした村上春樹の出世作「ノルウェーの森」の上、下巻が一度に発売されたのもこの頃。
また、三原山が大噴火し、全島民が本土に避難しました。
芸能方面では、とにかくテレビをつければ歌番組。「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」(和田アキ子と島田伸介が司会!)など全盛期で、ジャニーズの光GENJIが押しも押されもせぬトップアイドルでした。
テレビドラマなら「あぶない刑事」や「教師びんびん物語」。ゲームはまだまだファミコンで、国民的にヒットした「ドラゴンクエストⅢ」が発売された頃です。
さて、ではこの頃の文化はどうだったのでしょうか?
日本全国がタバコ天国、電車でもバスでも吸い放題
よく話題になるのが、昭和はタバコを吸う人口が現代と比べて圧倒的に多かったということです。
現在のタバコ人口は、国民5人につき1人くらいらしいですが、昭和後期は2人に1人。統計表に成人後との表記はありませんから、二十歳までの国民もすべて含めた数字なわけで、ほとんどすべての成人男子は吸っていたと思っていいでしょう。
それだけ市民権を得ていたのですから、とにかくどこへ行ってもタバコが吸えるのは当たり前。駅や空港ホームはもちろん、どの電車でもバス、飛行機(離陸、着陸のときはアナウンスが入り、今だけタバコはお控えくださいと言っていた)、船でも吸い放題。
飛行機など、現在は万が一トイレで隠れて吸おうものなら最悪引き返しの事態となり、多額の賠償請求がなされる場合もあるとか。
病院の待合室でもパカパカ。学校の職員室も煙でモクモクしていました。不良が廊下でタバコを吸っているのを教師が注意して、「どうしても吸いたいなら職員室に来い」なんて会話も日常でありました。
当然歩きタバコは普通の出来事で、道端には吸殻がどこでも落ちていました。今では罰金をとられる地域も増えています。
時代とともに吸えない場所のほうが多くなっていますが、元はといえばこういった傍若無人なタバコ吸いのマナーの悪さに、非喫煙者ならずとも目をつぶっていられなくなったということでしょう。国の民度が上がったということです。
正月は街中はゴーストタウン
そもそも12月が「師走」と言われ、偉い人でも駆けずり回るほど忙しい月とされるのは、正月の準備に追われていたからです。
元旦から1月7日くらいまで、ほとんどの商店は正月休みをとっていました。米もミソも灯油も買えなくなるため、大晦日前にはどこの家庭でも大規模な買い出しを行い、日持ちするような料理をたくさん作って正月の一週間をやり過ごすためバタバタと準備をしたものです。
おせち料理もそのためのもので、もちろん縁起物というのもありますが、一年中休みのない主婦も休みを取らせるため、“たくさん作ってそれだけ食べる“という文化になったのです。
今では365日、コンビニでもスーパーでもネットショップでも開いていますから、なにも準備をする必要もありませんよね。
しかし、そこでも正月休みなどなく働いている人がいると思うと、頭の下がる思いになります。
駅の主役は伝言板
携帯電話が普及しはじめたのは平成に入ってしばらくしてからですので、当然昭和後期には携帯はおろかポケベルもありませんでした。
その頃の待ち合わせは、とにかくひたすら待つ。あまりにも来なかったら、家の電話に電話して家族に聞く。親しい友人や恋人の家の電話番号は、みんなたいがい暗記していました。
待つのをあきらめたときは、伝言板にその旨を書いて帰ります。どこの駅にも、改札口に必ず伝言板がありました。黒板にチョークで書く形態のもので、
「先に帰る。タカシへ、母」などまじめなものから「ユウジくん、好きだよ。タカコ」など告白に使うもの、「山田先公死ね」と呪いの言葉を書き込むもの、野球場が近くにある駅では「中日勝ったぞー!!」と歓喜の雄たけびもありました。
また、3月などは「今日でこの駅ともお別れ。今までどうもありがとう」といったセンチメンタルなものも。まさに、「誰でも見られる掲示板」でした。
いまでは設置していない駅がほとんどですが、ネットの2ちゃんねるや誰でも見られるツイッターなどが一般に普及しているところを見ても、伝言板の役割は大きかったんだろうと思います。