仕事でも人生でも失敗した時に考えてはいけない事とは?
大きな失敗をする確率は誰にでもあります
一生ずっと順風満帆ならばいいのですが、なかなかそのような人生を送る事が出来る人間は少ないでしょう。長い人生の内には、仕事で大きな失敗をしてしまったとか、仕事以外でも失敗をしてしまったという事があってもまったく不思議な事ではありません。
判断を下すのはいつでも出来る
しかし、失敗した時にこそ考えてはいけないという事もあります。とんでもない失敗をしてしまいますと、もうこれでお終いだとか、お先真っ暗だと思ってしまうでしょうが、実際には救いの手がどこからか現れてくれたり、時間が経てば過ぎた事だと小さく思える場合もあります。
問題は、失敗した時にもうダメだと思ってしまうのは仕方が無いとしても、マイナス思考にまみれた状態で判断を下さないという事です。どうせダメならば、判断はいつしてもそれほど問題は無いはずです。そうでないと、ありがたい救いの手を差し伸べられる時間さえも失ってしまうからです。
逃げ癖をつけすぎると・・・
この判断というのは、もう生きていられないとか、自分はもうこれからどのような仕事も出来ないという判断を自ら下すという事です。よく、嫌な事からは何でも逃げたほうがいいという事を言う人もいますが、逃げ癖がつくとどんなに好きな事であってもつい逃げたくなってしまうでしょう。
どんなに好きな事であっても、続けていれば嫌な事の1つや2つは出てくるものです。そこで、逃げ癖がつくと好きな事であっても逃げて嫌いになってしまうという訳です。または、逃げず立ち向かわずそこで成長がストップして、いつまでも同じ場所から動かないという事になるかもしれません。
救いの手は差し伸べられないとは限らない
失敗をした時には、あえて未来への考えを急がずに少し休むのもいいですが、地道に出来る事を始めてみましょう。地道にでも少しずつ動いている時に、再チャレンジへの炎がメラメラと燃え上がってくるという場合もありますし、他のやり甲斐や生きがいといったものが見つかる場合もあります。
そこから、回り道をしたけれど名誉挽回をしたという人も沢山います。要は、事柄からではなく自分から逃げたか逃げなかったか?という事でしょう。救いの手といっても、必ず差し伸べられるという訳ではありません。かといって、絶対に差し伸べられないという訳でもありません。
しかし、自分で自分から逃げてしまうような臆病者には、なかなか可能性が低いものかもしれません。もうダメだ~という時に、どうにでもなれ!と笑って開き直るぐらいの肝と地道にやり直す誠実さがあれば、救いの手という光明が見えてくるかもしれません。