世間知らずは悪いこと?どうでもいいことを詰め込むことのデメリット
世間知らずって言われてもあまり嬉しくない言葉ですが、どこまでが世間知らずでどこまでが世間を知っているのか、ちゃんとしたラインがあるのでしょうか。
「あんた世間しらずだねぇ」なんて言う人もいますが、それはニュースのことを知らない、その地域のことを知らない、社会に出たら共通してやることを知らないなどあるかもしれません。
世間知らずのラインは?
一般的に世間知らずと言われる人は、ブームになっていることを知らなかったり、ニュースで流れている誰でも知ってそうなことを知らなかったりする人じゃないでしょうか。
でも、そういう人に限って別の分野ではかなりの知識やスキルを持っていて、ニュースを見ずにそればかりしている人かもしれません。なので、その人からしたらその専門知識の誰でも知ってそうな最初のことを知らない人がいればその人に世間知らずと言いたいところですが、世間知らずって言ってくる人はそういうことに何らかの気持ちを持っています。
それは、知らないといけないことを教えてあげたいという愛情からか、自分は知っていて相手は知らないという優越感か、無知な自分を許せないのに無知でのほほんとしている人が許せないかなどの理由があると思います。
そう考えると、世間知らずのラインは人それぞれで、優越感を感じたいためにその言葉を使うなら、人と比べる代わりに友達がいなくなってしまうかもしれません。誰だって比べられて劣るのは嫌ですし、それ以上にそんな自慢をする人と一緒にいると、その人の痛々しさが伝わってきます。
世間知らずといわれて悔しい思いをするなら、なぜその人がそういうのかの心の動きを見ると、何ら悔しい思いをする必要もないことが分かってくるでしょう。
世間知らずのほうがいいことも?
じゃあ、世間知らずはやばいのかというと、そう言われたことがある人も普通に生活していると思います。「こんなことも知らないとやばいよ」と言われても、何がどうやばいのか、そもそもそれを知らないことで何かの罰ゲームでもあるのかと、深く考えれば考えるほど曖昧なものです。
逆に毎朝ニュースを見て何でもニュースのことなら知っているという人でも、それを活かせる場所に行かない限りネガティブな発言ばかりする人と思われるかもしれません。そして、何らかの分野で一流になったり自分らしい人生を送っている人は全てニュースをチェックしているかというとそういうわけではなく、むしろニュースを見ていない人も多いようです。
ネガティブなニュースを見ると少なからずそれを頭にインプットすることになるので、何らかの影響を受けるかもしれません。人は出来事に連想するので、何の気なしにニュースを見ただけでも、交通事故のニュースであれば旅行に行ってちょっと不安になった時にそれを思い出すかもしれません。
ホラー映画を見ている人が同じようなシチュエーションで怖いことを思い出すのと同じで、トイレでお化けが出ることを知らない人は夜トイレにいっても怖がらないでしょう。そうして知ることが増えると新しい考え方、思い込みが出来ることがあり、それによってある状況になるとその記憶によって新しい反応が増えることになります。
今まで大人を見ても優しく見えていたのが、冷たい大人を見るとその人に似た人を見て冷たい人なんじゃないかと先入観を持ってしまったり。そこからもっと心を理解して冷たい人の中にも悲しさがあり、それを分かってあげることまで分かれば別ですが、そのまま冷たい人という認識のまま生きていると辛いこともあるかもしれません。
そう考えると受け取った情報を自分で対応出来るように色々な角度から見ることが出来る人は情報は沢山あったほうがいいかもしれませんが、情報の洪水の波に飲まれるだけだと世間知らずのほうがいいこともあるかもしれません。
ニュースはあくまでニュース
そして、ニュースで流れることはあくまでニュース、つまり珍しいあまり起こることが無い出来事、同じようなことでもニュース性の強いことがメインだということです。たとえば自殺や事故はショッキングでニュース性が強いことなので、同じようなことでも毎日、珍しいことなら何日間も同じニュースが流れていることがあります。
もちろんそれを見て気をつけようと思うことも大切かもしれませんが、それを何度も見て感情が動き、記憶に残って習慣になってしまうと、必要以上にネガティブな感情を感じる生活になるかもしれません。すると自分でも気付かないうちに体や気持ちが重たく感じ、悪いことばかりに目がいくようになることもあります。
ですが、それと同じ、それ以上に世の中で良いことは起こっているのにそこに焦点は当てられません。そう考えると、取り入れる情報は自分で選んでいくことは大切ではないでしょうか。