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日本固有の花であるサムライの在り方を知り、男を磨きましょう!

意図的に片仮名でサムライと書いています。サムライとは、武士道の匂いを湛えた魂のことであります。日本男子はサムライであってほしい、ということの意味を理解しない壮年の男性は、軟弱で自分勝手な評価を受けてしまうと思います。ではサムライとは何でしょうか。その心をたずねてみましょう。

武士道という日本固有の花

武士道というものは、日本固有の花です。アダムが耕し、イブが紡いだころ、まだサムライはどこにも存在していませんでした。

国民道徳の規範を示していたサムライ

江戸時代の日本社会の在り方というのは、言わばサムライの賜物なのです。サムライがいたから、江戸時代が成り立ちました。サムライは、農工商ほど人数はおりませんでしたが、彼等は国家の花であるだけでなく、その根でもありました。民衆の上に、一面では超然として存在していたのですが、国民の道徳的模範の色彩が極めて強かったと言えます。

民衆の娯楽の中身を見てみれば…

「そうだろうか?」と疑問に思う人は、次の事実に注目してみるといいでしょう。

民衆の娯楽、及び民衆教育の無数の道は、ことごとくサムライの道をテーマとしたものであったと言えます。例えば、村芝居、寄席、講釈、浄瑠璃、読み本、寺子屋の論語……等々。

サムライたちの物語

素朴な百姓たちは、囲炉裏を囲んで源義経と弁慶主従の物語に耳を傾けました。日に焼けた腕白坊主たちは、曽我兄弟の真似をして棒きれを振り回し、ひねもす仇討ち遊びをしました。

仕事に疲れた番頭や丁稚は、雨戸を閉めて膝を交え、信長、秀吉の出世話に夜の更けるのを忘れました。おまけに、頑是ない幼児たちまでもが、桃太郎の鬼退治のお伽噺に胸を躍らせていました。

知的で道徳的なものは武士道の影響下

無論、それらは正確な歴史とは別の物語ですし、現在ある筋立てと同じものではありませんでしたが、不思議なことに、道徳的に正しきサムライは全国民の理想像だったことを認めざるを得ません。

「花は桜木、人は武士」と里謡にも歌われ、民衆の抱くさまざまな人生観・処世観は、武士道からの影響を受けぬものとてはなかったのでした。当時、知的なもの、道徳的なものは、直接間接に武士道の影響下にあったと言うことができましょう。

サムライの道が美意識に浸透していた

もっとも、長屋の熊公八公の生活には、別の生活道徳がありました。庶民らしい喜怒哀楽は当然、江戸のちまたに溢れていました。でもそんな彼等といえども、芝居を観、講釈を聞くときには、里見八犬伝の八剣士の如く、はたまた討ち入りに臨む48人のサムライの如く、義を義とし、忠君の情熱に身を焦がしていました。

このように、サムライの道は、江戸時代の日本国民の美の意識において、いろいろな意味で核心をなしていたことは間違いないのです。

武士道は自然なものであった

もし、宗教とは「情緒によって感動された道徳」にすぎずとするなら、武士道ほど「宗教に近い倫理道徳」は世界にも稀であると言われています。

「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」

この歌ほど、サムライの心を的確に表現したものはないと言われています。ごくごく自然な感じのものがサムライの心でありまして、不自然な作り事だという印象は全くありません。

自然であり高雅であり潔い生き方

大和心というのは、言わば野生の花なのでして、自然であり単純です。桜は高雅であり、優麗であり、かつ匂い淡くして自然の召すままにいつでも、ハラリと散っていきます。

それに対して、西欧人の好むバラを見てください。華美な色彩、ツンとくる匂い、複雑な花の形、しかもその花の下に鋭く人を差す棘を隠し、咲いたままで腐っていく生への執着の強さ。それら全てが、日本的サムライの生き方の反対であることが、よくお分かりになることでしょう。

サムライの自覚を持ち存在感を獲得しよう

現代では、武士道とかサムライと言うと、作為的で封建的で非人間的な「シバリの道徳」だと感じてしまう人も少なくありません。でも少し視点を変えれば、「正義・道義・義理」というものは日本人にとって、本来的な自然な魂の在り方だったと言うこともできます。シバリの全くない人生は自堕落です。正しくサムライの自覚を持ち、敬すべき男の存在感を獲得したいものです。

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