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中身のない「悲憤慷慨」に騙されるな!怒らない精神の保ち方

「一怒一老」と言います。人間は、怒りによって老いるものです。それとは反対に、「一笑一若」と言って、笑いによって若返るものだとも言われています。その意味では、世に腹は立てぬこそ賢い生き方だと言えましょう。

世渡り上手とは

単純に「笑う門には福来たる」という言葉を信じて、ひたすら明朗に生きていくことが、一番の得策だと言えます。にこやかに、ゆったりと、ただ平和三昧に安穏に暮らすことこそ、世渡り上手というものでしょう。

とは言うものの、鋭敏で繊細な生きた魂を持っている私たちにとって、そんな悟り切ったような生き方はちょっくらちょいとできるものではありません。

喜怒哀楽の連続が人生

正義感というものが身の内に少しでもある限り、不正を見れば腹が立ち、許せぬものは許せぬものです。人を愛する心があれば、その人の不運を悲しむ心も、時には避けがたいものです。

力いっぱい何かに挑戦をし続けていれば、挫折もあるでしょうし、涙の発奮もまたあろうというもの。人生はそうした喜怒哀楽の連続だとも言えます。

怒りのポーズで空騒ぎ

ただし、空騒ぎに近い怒りは、真の怒りではありません。訳もなく怒りのポーズを取り、世間に対してそれをぶち上げて得意になっている人々がいます。

公を含まぬ腹立ちというものは取るに足らぬ私憤にすぎませんが、それに大層な理屈を貼り付けて、いかにも義憤であるかのごとく装うヤカラが少なくありません。

八つ当たりは醜態である

うじうじした鬱憤や、いじけた挫折感は、内臓を重苦しくするだけで発展的なものは何も生まないと知るべきです。だからと言って、それを無関係な対象にぶつけて、八つ当たりして何になるでしょう。どこかの国の民衆の一部が、反日を旗印にして暴れまくるのなどは、その典型です。

怒りを向上心にシフトする

自分自身に対する不満感は、誰にでもあります。自信にあふれた人ばかりではありません。その不満な感じは、自身の工夫によって向上心にシフトされていくべきものです。

他人や社会に対するやり場のない憤懣があったら、自身の包容力で一度噛み砕いてみましょう。悪いやつや馬鹿なやつが目についたら、それを笑って他山の石とする心構えこそが、自分を強くし成長させてくれます。

まがい物のスター

自惚れというものは、禁物です。夜郎自大になり、誇大妄想に自己を追い込む愚が、時として異常な偽カリスマを誕生させたりします。自分は天才だという妄想、教祖になれたという錯覚、根拠の乏しい英雄の意識、ネット上にはそういうまがい物のスターが出現しやすいと知るべきでしょう。

詐欺のような思いつき哲学で、未熟な人々をとんだ迷い道に誘い込むエセ宗教が今の日本を徘徊しているという感じを受けるのは、決して私だけではないでしょう。

胡散臭い悲憤慷慨もある

何しろ人は、「己の分を知る」ことが第一です。その上で、世評をものする警世家になるなら分かります。身の程を知らず、むやみに大言壮語して売文を事としている、低級なる評論家も少なくないようです。

権勢に阿諛し、時勢におもねり、浅はかに流行を追い求めて、目先だけは人並み以上によく利く。落ち着きがなく、風格もなく、野良犬のように僥倖を頼みにして、金の匂いを嗅ぎ回っている胡散臭い大人たち。

怒りより笑いが大切

そのような人々が、とかく「怒り」を提唱して暴れ回ったりするのです。社会改革とか、革命とかを標語にして、浅い考えに基づき大衆を先導します。反戦とか反原発のデモなどを批判する気持ちは当然ありません。それは歴然たる市民の意思表示です。

自己の胸の内に個人的な鬱屈を積み上げ、一日一日をその場しのぎにやり過ごして、不平不満の口上を周囲に垂れ流すようなオトナにはならぬように心がけましょう。

やはり「一怒一老」「一笑一若」です。年を取ったら、年相応の落ち着いた考えを持ち、反省するところは素直に反省して、穏健な暮らしを真摯に営むようにしましょう。

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