なぜ望んだことは実現しないのか?実現の仕方の違いについて
夢は紙に書くと叶う、夢は写真で貼っておくと叶う、夢は動画で撮っておくと叶う。これらは全て効果があると思いますが、その効果の現れは人によって違いますし、人によっては全然現れない、もしくはすぐに現れるという経験をした人もいると思います。これは、事細かに書くことも大切ですが、それに加えて心の動きも関係しているようです。
実は実現していた?
そして、こういうことをやっている人の中には「全然実現しないじゃないか!」と思う人もいるかもしれません。ですが、面白いのは意識的に「こうなったらいいなぁ」と思うことだけだと、それに加えて見えない部分も一緒に実現していることがあるようです。
たとえば、起業したいと思っていても「全然起業出来ないじゃないか!」と思っていても、その底には「起業して失敗したくない」という思いがあれば、そのちょうど間の一人で何かをやる仕事をやっていたりすることがあるようです。
たとえば、痩せたいと思っていても「全然痩せないじゃないか!」と思っていても、その底には「ダイエットで辛い思いをしたくない」という思いがあれば、そのちょうど間のあまり痩せないけど行動的になるということは実現しているかもしれません。
そうした心のアクセルとブレーキがどう働くかによってそれが実現するスピードが変わるようで、気付いていないうちに実現していることは心のブレーキも取り入れたことになっているといえます。なぜなら、人は痛みと快楽によって動くという性質があるので、意識では望んでいることでも心ではブレーキがかかっていることなら、それは実現しにくいからです。
そう考えると、今の現実は意識的には望んでいないと思うかもしれませんが、心からするとその状態が安定、安心を感じる状態かもしれません。
別な自分を考えてみる
ではもし、今の自分の考え方、感じ方、行動の仕方がガラっと変わったら果たして今の理想の状態は本当に求めていることでしょうか。
ポジティブにガンガン突き進むタイプの人は、そうしないと自分には価値がないという無価値感が原動力になっているかもしれません。もしそのタイプの人が、全てをコントロールしようとするタイプや、ほんわかして周りを和ませるタイプになったらどうでしょうか。
そうした自分の状態が変わることで目標ややりたいことが変わるなら、それは最初からエゴを満たすために立てた目標の可能性もあります。年収や名誉などの数値や周りから承認される目標は、もしそれ以上の人がいたとすれば自分には価値がない感じがするでしょうか。
もっと頑張ってその人を超えてやるというような気持ちが出てきた場合には、それは心から自分らしい幸せな人生を望む目標ではなく、無価値感から逃げるためのエゴの目標かもしれません。これを見定めないと、いつまでもエゴに振り回されて、さらに満たしても満たしても満たされず、疲れ果てるか周りから見放されるか、色々なデメリットもついてくるかもしれません。
そうした目標に裏切られて人生の生きる意味が分からなくなったような人も、それはやはり無価値感から逃げるという心の動きは実現しています。なので、意識で望んでいない現実が実現しているということは、心のどこかで今の状態を望んだことがあるということを理解すると、そこから変えていくことも出来るでしょう。
満たされている感謝の力
人間が行動する時にそれをやりたいという愛からなのか、やらないといけないという恐れからなのかという違いがあります。恐れにはモチベーションが必要で、愛にはインスピレーションによって行動出来る違いがあり、このどちらの状態でいるかで見える世界が変わってくるでしょう。
それはその人の経験や状態によって変わりますが、今あるもの、置かれている状況、自分や家族などに感謝することが出来ると、それだけで愛が湧いてくることがあります。感謝とは今あるものに認識するということで、感謝の反対は当たり前といわれるのも、今あるものを認識出来ていないから欠乏感を感じるのではないでしょうか。
「自分は持っていない」という欠乏感は、手に入れないといけないという恐れの行動を駆り立てることもあります。ですが、それを感謝することでその気持ちを和らげ、安心することが出来て、今の状態に満足し、やりたいことに意識を向ける余裕が出来たら大きいと思いませんか?
それは一時的に持っているものではなくずっと持っているもの、たとえば自分の体や意識、目や耳、手足を持っているだけで感謝出来るかもしれません。それがなくなった時のことを考えると今がどれだけありがたい状態か分かりやすいかもしれません。
昔は田舎町なら異性を選ぶことが出来ないほど人が少ないところもあったようですが、今ではインターネットで自分の理想のタイプを探すことも出来ます。公共施設も個人でお金をかけたら億単位かかる建築物も無料で体験出来たり、1日中そこにいることが出来る、そして身の危険を感じることがない土地に住んでいることは感謝出来ることかもしれません。