物や他人の評価ばかり求める人、求めない人の共通点とは?
「え~凄いですね~!」と言われて「そんなことないですよ~」と言っておきながら、「そう思ってるだろ」と思える人は周りにいませんか?謙虚なふりをしながら褒めてもらいたい、チヤホヤしてもらいたいという気持ちは、どことなく相手に伝わるものです。
なぜそんなに周りから褒められたいのか?なぜそんなにものが欲しいのか、外側に求めている人、逆に人から称賛されなくても必要以上に物がなくても自分の心の内側から満足している人とどういう違いがあるのでしょうか?
なぜ、外側に求める?
人の欲にはキリがなく、小さなどこにでも持ち歩けるゲーム機から始まったと思ったらテレビで出来る大きなゲーム機、それも何台も欲しくなる、ブランド品も小さな小物からスタートしてどんどん高級といわれるものが欲しくなる。
それに自分の才能や探究心、こだわりなどがあれば別ですが、それを持っていることで周りから良く見られる、称賛されるといったことが目的なら、その行動はキリがないようです。
なぜなら、称賛されたらまた違うブランド品を買って自慢すればまた称賛される、自分よりも良い物を持って称賛されている人がいれば悔しくて、無価値感を感じてもっと良い物で称賛されようとする。
そうやって認められることの嬉しさと、認められないことの不安や劣等感によって外側のもの、たとえばブランド品や車、住宅、何らかの実績、評価などを求めることがあります。
自分ではそんなことないと思っても、じゃあそこが無人島で周りに人が誰もいないと考えたら、どんな気持ちを感じるでしょうか。誰も称賛してくれる人がいない、それで虚しさや不安を感じるなら、それはいつまでも満たされることが無い無価値感や競争心から来ているニーズかもしれません。
昔から戦って強い方が称賛されるといったニーズが、今になったら高い物を持っている方が、より実績を出している方が、よりお金を持っている方が称賛されるといったニーズに形を変えているのかもしれません。
外側に求めない人の共通点
外側に求めるニーズはどんな人にも少なからずあり、それが大きくなっているのか小さくなっているのかの違いがあります。そのニーズが大きくなっている人は朝起きて称賛されることを探して、それで喜ぼう楽しもうというプランを立てるかもしれません。
ですが、そのニーズが小さくてもほとんど感じられないぐらいでも、幸せな人生を生きている人もいて、その人たちに共通することは、自分が誰なのかをしっかり知っている人のようです。
自分の才能は何か、才能の形はどんなことか、どんなことが好きで嫌いかといったことがしっかり分かっていれば、周りの人にどう言われようがあまり気にしなくなってくるようです。
たとえば、周りから「そのブランド品高そうだね」と言われても、自分の価値が増減するわけじゃないと分かっている人と、その評価によって自分の価値が増減すると思っている人では、どちらが安定しているでしょうか。
自分の才能はどんなものを持っても、より自分らしさを表現するために役立つものはあっても、変わったり減ることはありません。その才能を発揮して生きている人は、それを追求する楽しさと周りの人と分かち合う楽しさ、それを広げたり形を変えることの楽しさなどに意識が向かっているようです。
逆にいえばどんな人もそれだけ周りの人に影響を与えるエネルギーがあるのに、それを活かさなかったらその大きなエネルギーは上手く使われず、自分の中でモヤモヤしたり不満を感じるストレスに変わることもあるようです。
誰かを知り、好きなことをやる
そうして自分が誰かを知り好きなことに才能のエネルギーを向かわせることが出来れば、その分自分らしいと感じる人生に変わっていくようです。今自分らしい幸せな人生を生きている人も最初からそうだったわけではなく、やりたくないことをやったり人生探しの旅に出たり、ですがどの人も行きつくのは自分らしさ、才能のようです。
次々とビジネスを起こしたりブランド品を買ったりする人は、なぜ自分がそういう行動をするのかを考えてみると、新しい発見があるかもしれません。もちろん次々とビジネスを起こす才能がある人はいいですが、そうしないと無価値感や競争心から来る焦りや不安に耐えられずビジネスを起こし続ける人もいます。
そしてそれは、自分の好きというところから始めたビジネスじゃないとしたら長く持たせることは難しく、無価値感や競争心から来た価値創造はお客さんの求めているものよりライバルに勝とうとするところにフォーカスするかもしれません。
ビジネスでも趣味でも特技でも、そこに自分らしい人生、才能があることがどんな人にとっても幸せと心の平安を感じて生きる大切な鍵になると思います。