「もののあはれ」を「ふるさと」に見る視点を学べ
ふるさとは「あはれ」なものであります。都市は「あっぱれ」なものであります。「あはれ」は和魂(にぎたま)であり、「あっぱれ」は荒魂(あらたま)であります。その違いを知ることで、自分の「ふるさと」が持てることでしょう。
ふるさとと都市の本質
古い里、ふるさとはグレートマザー的な、和の世界であります。みやこ、都市はゴッドファーザー的な、対立の世界であります。ふるさとは倒れかかった心を癒し、抱き起こし、なぐさめ、温めてくれるものです。都市は競争し、破壊し、いつわりと謀略とで人心を切り裂く、試練の場であります。
農民は大地の子だった
200年ほど前、この国はまだ農業国でした。民草は皆土地に足をつけ、稲を神のように崇めて、田に鍬をおろしていました。大地は命の基盤であり、そこから生えそこに埋もれていく点で、人間も草木も異なることがなかったのでした。
あはれとあっぱれの相克
農村は質実剛健のもとであり、都市は浮華と頽廃のちまたである、と信じられていました。一方で「もののあはれ」は本質的に、滅び行くはかなさの美を連想させるものです。「あっぱれ」は腹を切る如き、積極的な潔さの雄々しき意志を思わせます。
琴線に触れる母と、金銭に触れる父
現代人の意中で、ふるさとはやはり「あはれ」なものでありましょう。失われていく宿命に耐えつつ、心の「琴線」に触れる、うるわしいもののひとつであります。
それに対してビジネスのかたまりとしての都市は、心の「金銭」に触れる、やむを得ないもののひとつであります。ふるさとは優しく魂を包み込む母であり、都市は人を厳しく指導する父であります。
都市と農村の両立に躍起
和魂漢才という言葉があります。和魂洋才よりも以前から使われていた言葉です。我が国の国民は、異国のよいところを巧みに取り入れる才に長けていました。しかも自国の文化を汚さないために、強いて和魂を標語としておりました。なかなか賢明な国民です。
都市と農村の両立を目指して、明治以後の政府は四苦八苦してきましたし、今も政府はふるさとを一方で破壊しつつ、他方ではふるさと創生の支援に躍起になってもいます。土台矛盾していますが、この世が矛盾の上に成り立っている以上、仕方のないことだとも言えそうです。
ふるさとは歴史の中で滅びていくのか
公家的なものと武家的なもの、封建的なものと近代的なもの、そうしたものが交差し勢力を交代させながら、歴史という名の時間が流れていきます。
人々の中で「ふるさと」は、甘く切ない顔つきで泣き笑いしながら、それでも老いた母の細い手のように、人々に向かって差し伸べられている何かなのであります。
貧しさは心の滋養である
私たちの幼少時代、その親たちは学歴も教養もなく、一般的には貧しくてケチでした。母親は苦労を骨身に沁み込ませ、血の涙をひた隠してつくり笑いしていました。父親は無骨で乱暴者でしたが、生真面目で世渡りに不器用、世間では小心にすぎ、深い憤りをいつも安酒に紛らせていました。
無論そうではなくて、豊かな子供時代を送った人も少なくはないでしょうが、むしろ貧しく生きたふるさとのほうが、魂の肥やしになるものです。暮らしの厳しさが人々のふるさとを彫琢したという例が、非常に多いのです。貧しさは必ずしも子供を不幸にはしません。豊かな大自然が子供心を育てるという側面も無視できません。
ふるさとは魂の根である
ふるさとは「あはれ」なものだというのは、深いとらえ方だと言えましょう。輝くような幸福の記憶とは違って、一面悲惨な要素を滲ませながら、地道にただやみくもに「生きよう」ともがいていた親子の姿――、それが正調の「ふるさと」なのです。そしてそれが、温かい和の世界につながっているのです。
帰るべき「ふるさと」をなくした人々は、全てを虚しさの色眼鏡で見てしまうものです。先祖伝来の土地もなく、誇りに思える家系も祖先も知らぬという人は無数にいます。それでも「ふるさと」は持てるはずですが、敢えて「ふるさと」を否定してしまった人たちは、孤独地獄と隣り合わせで生きていくしかありません。魂に根がないのですから、漂泊するしかなくなってしまいます。
「あはれ」な「ふるさと」を自分の中に掴み取りましょう。人間として真直ぐに生きていくために、ぜひそうしたいものです。