問題を解決しようとするのが問題?今の考え方の落とし穴
「この問題はどうやって解決すればいいだろう?」そう考える場面は学校の勉強だけじゃなく仕事でも家庭でも、人間関係なら答えがよく分からない問題を解くようなものかもしれません。
こう考えた時に、はたしてそれは解決しないといけない問題なのか?と疑問に思う人は少なく、さらに問題を解決しようと思っている自分はなぜそう思うのかと思う人はもっと少ないかもしれません。
それは問題なのか?
ある人は「問題だ」「大変だ」と考えていることでも、他の人からすればそこまでおおごとに感じないことはありませんか?
どうせ他人のことだからと割り切るのは簡単ですが、話を聞いても実際にあまり大変なことに感じないこともあります。
それは一度体験していることもそうかもしれませんが、「そんなにあわてること?」と思うこともあります。
そうした問題と関係することだけじゃなく、楽しいことや嬉しいことも、ある人は四葉のクローバーを見つけたらとても嬉しく思い人もいれば、三つ葉でも四葉でもどうでもいいと思う人もいます。
それは問題なのか?ということも、それは嬉しいことなのか?ということも、人それぞれ違います。
ですが、問題だと思いこんでいる人が、それを問題じゃないと思えるようになるのは緊急なことであればあるほど難しいかもしれません。
もちろん緊急で対処しないといけないこと、一時的なものは問題だとしても、その問題を起こすまでに何か原因があったとしたらその原因を見ていかないとまた同じ問題が起こるかもしれません。
健康診断を毎年行っても、その数値が改善される健康的な生活に変えない限り、いつまでもその結果は変わらないのではないでしょうか。
それと同じく問題としてだけじゃなく別の角度から見れば問題じゃないことも、問題と見えてしまう人は、その問題を解決したところでその見方が変わらない限りずっと問題は出てくるのではないでしょうか。
問題を見たくないところから見てみる
問題と思っていることは実は大きな問題ではなく、もっと大きな問題から目をそらすために小さな問題ばかり見ている人もいます。
それは人の心の動きで今の自分を維持したいという機能は誰でも持っていて、その1つとして小さな問題を見ることで大きな問題を無視するというものがあります。
例えば、自分はプロの歌手になりたいのになるためにはキツいトレーニングを沢山やって、それでもプロになれるかどうか分からないとしたら、それよりは自分より下手な人を「もっと上手くしないと」ということを小さな問題にして、自分が見ないといけない大きな問題から目をそらすことも出来るでしょう。
例えば、もっと他人に任せることで問題解決することが分かっているのに100%他人を信頼することが出来ず、信頼出来る人間になることが見ないといけないことなのに、今まで通り信頼出来ないという理由で周りをコントロールしようとすることが、小さな問題かもしれません。
なので、問題だと思っている自分の考えを振り返ることが一番の問題の解決策かもしれないのに、それに気付ける人と気付けない人がいます。
そして、やはり問題というぐらいなので一番大きなものは自分でも見たくない問題かもしれず、それに気付いて取り組もうとする人は、怖れや不安と向かい合い自分を変化させることが出来るでしょう。
自分の変化が世界の感じ方、考え方、見方の変化
そして、人間関係での変化が起こると人生にも大きな影響があることがあり、それは物理的なものもそうですが心でも大きな変化があります。
お金持ちと知り合って色々なものをもらったり色々なところに連れていってもらうということもあるでしょうが、怒りっぽい人、おどおどしている人、元気すぎてうるさい人、落ち込んでいる人などと会うと、今までの自分の状態が変わることを経験したことはありませんか?
そうした人に自動的に反応しても心の距離を縮めることは出来ないかもしれませんが、相手の気持ちを理解しようとして心の距離を縮めることが出来れば、文字通り人間関係が変わるでしょう。
そしてそれだけじゃなく、今までの自分が「これはこうだ」と思っていたことが変わることで、世界の見方も変わってきます。
それは小さい頃親に「あなたは何でも出来る子だ」と言われても「お前は何も出来ないやつだ」と言われても、どちらも信じるとしたら良い悪いではなくどう教育されてきたかが根本にあるかもしれません。
なので、問題だと思っていることは、それを問題だとなぜ自分が思うのか?自分がどうなるとそれが問題だと見えなくなるのかといったことが本当に見ておきたいことかもしれません。