見方を変える事で、問題処理能力を高めるアイデア
いつも何気なく運転しながら通ってる道、どうしても苦手意識があってうまくいかない会社の上司、食べた事もないのに、食わず嫌いで敬遠しているなにか・・・これらは、いつもと少し違う見方で見る事で、まったく別の見方が出来るようになります。
なので今日は、見方を変える事で、問題処理能力を高めるアイデアについてお話ししようと思います。どうぞ最後までおつきあいいただき、すばらしい人生を歩まれてください。それでははじめようと思います。
物事や人にはいろんな面があるというのを覚えておく
今わたしが飲んでいるペットボトルのジュースの容器も、下から見たり、上から見たり、あらゆる角度から見る事で、まったく別の外観になります。
これと同じで、見方を変える事で、あなたが直面している問題がなんであれ、すべて解決する方向に持って行く事は可能です。ただ、それが分からないだけで、気づいてしまえばなんて事はなかったという事ばかりだったりします。
人間も物も、多面体から成っており、どんな人間でもどんな物でも、さまざまな個性や人間性、特徴や色を持っております。
たとえば、アマゾンや価格コムなどの商品レビューを見てみると、その視点に気づく事が出来るでしょう。どれだけ優れた商品でも、必ず、悪い評価というのは存在します。
中には、サクラというか、意図的にレビューを作り出しているようなものもあるようなのですが、わたしはそれを踏まえてもレビューというのは信頼に値するものだと思います。
もちろん買ってみて、レビュー通りじゃなかったなと思う事はあります。ただ、比較的少ないかなといった感じですね。
どのような商品でも、5つ星のレビューもあれば、1つ星のレビューもあるのは、やはり使い手がどのように思うかという事につきます。
人間にはいろんな人がいるので、すべての人間に完璧にマッチする商品というのはこの世に存在しません。だから、当然、このようにレビューが分かれます。
そして、レビューもよくよく見ると、配送が遅かったとか、お店の対応が悪かったなど、商品とはまったく関係ない理由で、評価を下げている人もいます。これはまったく無視すべきレビューなので、当然、基準にしてはいけません。
このように、表面的にだけ観察し、悪い評価があるから買わないでおこう、、、などという事をやっていると、どんどん本質から遠ざかってしまうので、しっかりとレビューしている意見を、あくまで各々の主観であるという事を踏まえた上で観察すると、本質に近づける力がつくではないかと思うのです。
見方を変える=常識を疑うという事
いつもの当たり前の基準で見ているものを、少し違う角度から見てみましょうというのはつまり、常識を疑う事に他なりません。常識というのは、自我が固まる前に作り上げた偏見の集合体であり、事実や正解とはほど遠いものなのです。
ただ、この常識を持たないと、生活するのに非常に面倒になってくるため、人は自分なりの常識やルールを作り、それに従って生きるわけです。
実際にどのように見方を変えるのかですが、たとえば、ものすごい良い商品でも、それがどの層に向けて作られた商品かによって、評価も見方も違ってくると思います。
わたしの家には5万円くらいするオーブンレンジがあるのですが、ボタンが多過ぎて、また説明書も無くしてしまったため、操作の仕方がまったく分からず、1500円で買った中古の簡易レンジばかりを使い、5万円の方はまったく使わなくなりました。
なので、商品を評価する際、値段が高いから良い商品だという風には思わない方が良いでしょう。これは、人間関係で言うと、良い大学を出ているからすぐれた人格の人間だと言っているのと同じ事です。
人間の質というのは肩書きや役職、ましてや給与の多さで決まるものなどではなく、もっともっと奥にある、人間の本質によって決まります。
この商品はつまり、かなり凝って使う人や、プロ仕様のレンジだったと後で知ったんですが、わたしは、肉を解凍したりするだけなので、わたしにはまったく使えない商品だったという事になります。
ただ、これはどちらが悪いというよりは、適材適所ではなかったというだけで、レンジをかなり使う人には、5つ星の商品なのかもしれないのです。
そして、わたしのこの5万円のレンジの評価は1つ星です。まったく使ってませんし、5万円ドブに捨てたとさえ思っています。
根性がある人なら、もったいないから、使い方を覚えて、役立ててやろうと思うのでしょうが、わたしには無理です。多くの人がわたしと同じような感じだと思います。
実際には、そうゆう生き方をしている人を見ると、すごいなとは思うのですが、多くの人には、すべての物に対してそんなに頑張れる時間も、労力も持ち合わせていないため、実現は現実的ではないかなと思います。