気付かないうちに学ぶ力を下げる言葉を使っていませんか?
「あーどうせ、あの人に好かれるのは無理だろうなぁ」、好きな人がいても中々話しかけられない人の中には、そうしたことを話している人もいるかもしれません。
そう話していると、どこか自分のことを好いていないように見えて、自分と話していてもそっけなく感じたら「やっぱり」と思うかもしれませんが、それは相手の本当の気持ちじゃないかもしれません。
もし相手が自分のことを好きでも、自分が相手に好かれていないと思いこんでいれば、相手にも不愛想な態度になり、それが相手にも伝わるのかもしれません。
ですが、「自分ならあの人と付き合える」と自信がある人は、相手がそっけない態度をしてもどうにか自分の気持ちを上手く伝えるために色々出来るかもしれません。
その違いは話している言葉からも分かりますが、それは恋愛だけじゃなく学習にもいえます。
ちょっとした言葉使いの違い
今の例でいえば、ちょっとした言葉使いの違いで恋愛のチャンスを掴むのか見逃すのかの違いに繋がります。
ただ言葉を発するだけでそこまで強い影響力はないかもしれませんが、その言葉が自然と出てくるなら、気持ちが自然にそちらに向かっているといえます。
気持ちが人を動かし、言葉もその1つで自分の気持ちがどうなっているのかを知ることも言葉を聞けば分かります。
学ぶことに例えると、「これ面白そうだな」とか「もっと知りたい」と心から話しているうちは、自分の中の好奇心やワクワク感が原動力になっていると思います。
その状態だと言葉通り夢中になり、頑張って何かをする時以上にすんなり知識なり行動なりが入ってくる、身についてくる感覚になれると思います。
では、上手く学べない状態だとどんな言葉が出るでしょうか、逆を言えばどういうことを話している人は頭に情報が入らない状態になっているでしょうか。
例えば「あ、これ知ってる」とか「もう知ってるよ」、「前にも聞いたことあるからなぁ」と話す人は、さっきの人に比べてどんな気持ちでしょうか。
一度聞いたからもう聞かなくていいという面倒な気持ち、退屈さ、飽きる感じがするかもしれませんが、こうなると頭に入らないのではないでしょうか。
知りたい欲求をオフにする言葉
人は一度見たもの、聞いたもの、体験したものは自分にとって当たり前になるので、最初に感じた感動や驚きはだんだんと薄れていく、慣れの感覚があります。
なので、家族でも友達でも恋愛でも長く付き合えば付き合うほど空気のような存在になり、当たり前の存在になり、最初の驚きや感動、喜びなどは薄れていく感じがするかもしれません。
そう言うとしょうがないのかもしれませんが、さっきの例で出てきた「これ知ってる」というような言葉も同じで、元々持っていた好奇心のまま見ることが出来ないかもしれません。
そう使う言葉によって知りたい!やってみたい!といった好奇心や探究心をオフにすることにもなりかねません。
ですが、同じことでも別の角度から見ることができ、それが新しい好奇心を生みだすことにも繋がるでしょう。
同じことも違う角度から見てみると・・・
同じ映画でも「ん?」と分からないところがあった時、もう一度見直して「そうだったのか!」と気付くことはありませんか?
最近の映画ではアナザーストーリーと呼ばれる同じ映画でも主人公以外の人がどういう行動をしていたのかといった違う物語が分かり、どこでどう繋がるのかを見て楽しめるものもあります。
それは学ぶことでも同じで、例えば社会の歴史を見ても、一人の名前と生まれ、何をしたのかを見ただけだとそれ以上興味はなくなるかもしれませんが、その人の家族構成や性格、どんな人だったのかを知るともっと興味が湧いてくるかもしれません。
それには色々な方法がありますが、1つは心理学的なところから見てみることで、例えば1つのことを成し遂げるために他を犠牲にしてでもやり続ける人がいれば、その人は目標達成タイプだということが分かり、本人は楽しいけどもっと家族は一緒に時間を過ごしたかっただろうなぁといったことが分かるかもしれません。
イライラしている人だったら、周りにいる人は大抵オドオドして、でも本当はコントロールしないといけないことが沢山あって心の底では助けて欲しい、もっと楽になりたいと感じていたかもしれません。
なぜ複数の人が同じ行動をすれば、周りの人は納得いっていないのに、なんとなくそれが周りの当たり前になるのかといったことも心理学の面から見ることが出来ます。
必ずしも心理学の点だけではなく、色々なところから見ることが出来れば「あっそうか!」といった発見は、表面的なことから見ることが出来ない深い気付きや面白さを見つけることが出来るでしょう。