自分の中に隠れている信念を湧きあがらせる言葉の使い方とは?
人は面白いもので、自分のことはよく分からなくても他人のことはよく分かるということがあります。
そして、適当に言われたようなことでも意外と的を得ていることがあり、たとえば仕事を頑張っている人がいて、その恋人が「もっとリラックスして楽しんだ方が良いんじゃない?」というと、大抵は頑張っている自分を否定されたと思うかもしれませんが、周りの人からそうした言葉が来るということは頑張りすぎているというサインを教えてくれていると考えることも出来ます。
それは気持ちのズレを教えてくれる周りのサインですが、自分の中に隠れている信念を見つけるのも、中々認められない気持ちがさらに隠したりして分からなくなることがあります。それを見つける言葉の使い方があります。
今の自分のままでいたい?
人間は基本的に今の自分を正当化したいという思いがあります。今の自分のままでいることで安心感、安定感を感じられるので、それを否定されたり今の自分のままじゃいられない情報が入ってくると、それを拒否しようとします。そして、自分を正当化して湧き出てきた気持ちを落ち着かせ、そのままの自分でいようとします。
また、面白いのが「批判は表面的なことだ」と言葉では批判されてもその批判を受けて上手く返すこと、それ自体がコミュニケーションだと思っている人にとっては批判されることが当たり前なので、それもそのままの自分を維持することになるので批判されてもその自分を正当化していることになります。
人は、今の自分を守るためにどういうサインを出すかというと、それは感情です。今の自分を変えようとすると不快な気持ち、恐れや不安や怒りや悲しみが出てきて、なんとか今のままでいようとしますが、そのままでいると安心感はあるかもしれませんがそれと一緒に退屈な気持ちや空虚感も感じるかもしれません。
自分らしい人生とはいつも同じ状態でいることよりも自分が楽しいと思えること、わくわくすることを追求していく中で感じる快楽とストレスの中間で充実感や心の平安、自分らしい人生を生きていると感じるようです。なので、そのスピードは人それぞれにせよ、今の自分を少しずつ変えていくというのは怖さとわくわくのどちらも含んでいるということがあるようです。
「○○でもかまわない」
なので、いつまでも自分を正当化している人を見ると自分を変えるのが怖い人なのかもしれません。ですが、そのままでいると周りから批判された時に正当化するというパターンだけではなく、自分の望まないパターンに振り回されることがあります。
たとえば、誰かがスポーツで活躍している姿を見ると、自分も負けじとそれをやり始めてしまう人は、自分の中にある無価値感を刺激されたので、その無価値感に振り回されているかもしれません。ただ純粋にそれをやりたくてやっているのと、無価値感に振り回されてやってしまうのとでは大きな違いがあります。
また、自尊心を傷つけられたと思うことが多い人は常にイライラしたり、たとえば学校でも喧嘩が起こるのは自尊心を傷つけられたと思い、相手と喧嘩することで自尊心を守ろうとしたり、ですがそうした人に限ってそれだけ繊細に感じ取れる心がある優しい人でもあります。
ですが、そうした感情に振り回されていると気付くか気付かないかだけでも対処法が変わってきます。そして、その感情を確かめるには「○○でもかまわない」と言ってみることです。さっきの例でいえば、馬鹿にされてもかまわないと自分に言ってみて、怒りのようなものが出てくるのであれば自分の中に「馬鹿にされたら自尊心が傷つく」というような信念が眠っていることになります。
感情を感じ尽くす
そして、その時に出てきた感情を感じ尽くすようにしてみましょう。なぜ、そうした感情に振り回されるかというと、それを感じ尽くしたくないからそれから目をそらすために行動に出て違う感情を感じようとする1つのパターンが出来ているからです。
自尊心を傷つけられて惨めな思いをずっと感じるくらいなら行動に出た方がいい、または人によっては感じないようにすでにそこから目をそらしている人もいるでしょう。無価値感も同じで無価値感を感じて惨めな気持ちになるぐらいなら行動でなんとかしようとしたり、逆に無価値感以上に不快な感情を感じてそこから動けなくなっている人もいます。
泣くこともそうですが、泣いた後にすっきりしたり力が湧いてくる感じになったりするのは、その気持ちを感じ尽くしたことでそこから逃げる必要がないからです。
男は泣くものじゃないと教わった人は無理やり涙をこらえる癖があるかもしれませんが、これは感情を抑えることで他の感情も感じにくくさせたり、感情的なパワーを封じ込めることにもなるので、そうした周りの意見に振り回されず泣きたい時は泣いた方がいいかもしれません。そうやって隠れている信念を見つけることが出来ます。