子供にどんな教育をする?子育てで分かる自分が持っている信念
あなたは子供に対してどんな接し方をしますか?他人の子供には優しくても自分の子供には厳しい人もいると思いますが、自分が子供に対する接し方を客観的に見ることで、自分がどんな信念を持っているかが分かります。
子供と接することで分かる自分の信念
子供だけじゃなくどんな人と接しても自分はどんな信念を持っているかが分かりますが、子供は生まれたばかりで信念がほとんどない無限の可能性のままに生きています。
信念とは、これはこうだという物事の見方のことで、それは人それぞれ違いますがコミュニケーションを取ることで自分はどんな信念を持っているかが分かります。
例えば、優しい人と話して優しく話す人もいればイライラする人もいて、それだけで「優しい人は自分に優しいから優しく話す」という信念を持っている人、「優しい人は無責任」という信念を持っていて、だからイライラするという人もいるでしょう。
それは子供との接し方でもいえることで、ちょっとでも自分の言うことをきかない子供がいれば叱る人、そのままにして一緒に遊ぶ人色々いますが、叱る人は「言うことをきかない子供は叱って育てるものだ」という信念、一緒に遊ぶ人は「言うことをきかない子供は無邪気で可愛いものだ」という信念を持っているかもしれません。
そのどれが良い悪いではありませんが、そうして自分の接し方を客観的に見ることで自分を動かしている信念を確かめることが出来ます。子供がどういう振舞いをしたら嫌な気持ちになるのでしょうか?どんな振舞いをしたら良い気持ちがするのでしょうか?
そして、その気持ちを感じたらどんな考えになり、行動になるのか、それが分かれば今まで自分を動かしてきた信念、それが制限になっていたものにも気付けるでしょう。
制限してきた信念は何か?
そうして子供と接すると分かる自分の信念が、自分の行動をどう制限しているのか、それに気付けるのは人と接する大きなポイントではないでしょうか。
なので、子育ては今まで自分がどう周りから影響を受けていたかがとても分かるもので、それに気付いて子供に接する自分はこういう信念を持っているんだ、それに気付けたらそれを押し付けるのか、それとも自分がされてきた接し方とは違う接し方をするのかを選ぶ事も出来るでしょう。
子供に「好き勝手動き回るな」という人は、小さい頃自分もそういわれたか、自分の近くの子供に親や親せき、先生がそうやって言っていたのかもしれません。
子供が遊んでいる姿を見て「遊んでばかりいないで静かにしなさい」という人は、同じく自分もそういう経験をしたか、そう子供と接する人を見たのかもしれません。
人がその状況をどう認識するかは過去の記憶によるので、子供と接していて感じること、思うことは過去にそうなる出来事があったといえます。
その信念に気付けることは子供とどう接するかの選択肢を増やして、自分の信念を押し付けるのかそうじゃないのか選ぶことにもつながりますし、自分を制限している信念に気付いて変えていくことにも繋がります。
子育ては自分育て?
そう考えると、子育て、子供と接する中で自分の信念に気付けることは自分を育てることにも繋がるといえます。
今まで子供の振る舞いを見て自動的に接してきた自分を振り返ることで、新しい行動を選ぶことも出来るし、制限する信念を取り外して新しい自分になることも出来ます。
人によっては長い間成長と関係ない人生を生きてきた人もいるでしょうし、成長する必要がないと感じる人もいるかもしれませんが、今まで自動的に人生を生きてきたことが分かるだけでも、新しい信念を身につけることで違う自動的な人生に変わることも出来ます。
例えば、怒っている人を見ると自動的にオドオドしてしまう人生を生きていた人も、信念を変えることで怒っている人の気持ちを理解して協力的になってあげられる人もいるでしょう。
子供と接している時も、これ買ってあれ買ってと子供が言ったらすぐに怒っていた人も、子供はそれだけ自分の可能性を信じているんだということから学べるでしょうし、「買って欲しいならこうしてごらん」、と自分が何かをしてあげることで喜ぶ人がいて、そこからお金がもらえるといった教育に繋げることも出来るでしょう。
大人になるとこれまで色々な経験から身につけた信念によって状況を自分の信念のレンズでしか見れませんが、子供は信念が少ない分、1つの状況でも色々なことをしようとします。
石ころ1つとっても大人は何とも思いませんが、子供は口に入れてみたり投げてみたり乗せてみたり埋めてみたり。
そうした子供らしい行動も、実は信念がないからそこまで夢中になれると知れば、その無限の可能性の中で生きる子供から学べることは沢山あるかもしれません。