人生のつじつまを合わせ、自己を解放する思考法
わたしが思うに、人生というのはつじつまをあわせる事で、はじめて幸せな人生を歩めるような気がします。どれだけ努力や忍耐を重ねてきた人生でも、それで仮に強さを手に入れたとしても、不幸であったり、後悔だけが残る人生では意味がないように思うのです。
世の中にはいろんな人がいて、本当になにもしないで、月収何百万と稼いでいる人もいれば、朝から晩まで睡眠時間2、3時間という暮らしで、手取り20万ちょいなんて人もいるわけです。
もちろん、貧乏がだめだという事はありません。わたしも収入はほとんどありませんが、すこぶる幸せな人生を得ています。
それはひとえに素敵な友人達と、美しい恋人、優しい家族や、わたしの考え方によるものだと思います。しかし、お金があれば幸せになる可能性がひろがるというのは間違いないと思っています。
だからわたしもお金を作る手段を探していますし、いっぱい稼いでいっぱい社会貢献したいと考えています。
今日は人生のつじつまを合わせ、自己を解放する思考法についてお話ししようと思います。どうぞ最後までおつきあいいただき、豊かな人生をあゆまれてください。それでははじめようと思います。
つじつまをあわせるとは?
つじつまがあう人生とはどのようなものをさすのかという事ですが、それは自分の思った通りの人生を歩む事だとわたしは思います。
わたしはもう人生で本当に欲していたものの、7割は手に入れています。あとはお金と親孝行が少し出来れば、それで良いかなといったところです。
しかし、仮にそれが達成できなくても、まあそれはそれで仕方ないかなといった感じなので、あまり執着しているわけではありません。
わたしが親に返せなかった恩は、自分の子どもに与えてあげる。今まで他人を傷つけてしまった事もありましたから、新しく出会った人や、今いる大切な人達を大切にする事で、贖罪ではありませんが、チャラにすると自分の中で決めています。
過去を変える事は出来ませんから、仮にわたしが、どれだけ多くの人を傷つけて来たとしても、今を生きる事でチャラにしないと、苦しくて生きて行けませんからね。わたしが酷い人間か善人かは別として、誰しも他人を傷つけた経験はあると思います。わたしもあります。
たとえば、恋愛などでもそうです。泣かした事も、傷つけた事も、結果的に裏切ってしまった事も、約束をやぶってしまった事もありました。しかしながら、人付き合いをする以上、こういった事は仕方の無い事だと思いますし、どんな人にも起こりえる事だと思います。
恋愛なんていうものは、エゴとエゴのぶつかりであり、友達などよりも更にもっとずっと踏み込んだ関係なので、傷つけあわなければ良い関係を築く事も、本物のパートナーに出会う事もないように思うのです。
しかし、こういったきずつけてしまったすべての人への罪を償おうとしたら、もうきりがありませんし、絶対に返しきれないと思うのです。
親から受けた恩、恩師に救ってもらった恩、友達からの借りなど・・・与えてもらった恩は数知れず、それらをすべて返そうと思ったら、わたしたちの体ひとつでは不可能ですし、それを達成するには人生はあまりにも短いです。
なのでわたしは、恩返しというのは直接ではなく、間接的に返す事でつじつまをあわせています。
自分が必死に生きる事で、それが恩返しになればと思うわけです。そうやってひとつひとつ消化して行き、すっきりしてあの世へ行くというのが、幸せな人生であり、つじつまをあわせる事だと思っています。
時には強引さも必要
時にはというよりは、常時必要だといっても過言ではないかもしれません。人は迷う生き物です。どれが自分や大切な人にとって最善かを考えて生きていますから、当然そこには迷いが生じます。
なので、ある一定まで考えてわからない場合は、「知るかボケ」という精神で挑まなければ、なにごとも進みません。
人生で最も大事なもののひとつとして「決断力」というものがあります。決める時に決める事はとても重要な事であり、時には無理矢理決めて、行動を起こすようにしないと、いつまでたっても動く事が出来ないため、他人も自分の気持ちも無視して、やりたいようにやる事が大事になってきます。
これが出来るか出来ないかで、人生の質は決まります。いつまでも決められない人の人生には後悔だけが残ります。なので、どうゆう選択をすれば良いのかわからないときには、まず決めてみて、それから行動を起こして行くという方が、良い結果を招きます。これはほぼ100%だと言えるでしょう。
大事なのは、選択ではなく、選択した後の行動です。なので、ある程度考えて決まらない時は、適当に決めて、後は良い結果を導けるようにどんどん動きましょう。さあ、今日が最初の一歩です。がんばりましょうね。