「自分が一番」の人より「自分より大切な人がいる人」は強い?~後編~
「自分より大切な人」の「大切」の表し方は人それぞれです
例えば、普段は家族が風邪をひいても具合が悪くても家事を一切手伝わないグウタラ亭主でも、子供が川でおぼれそうになった時、川に飛び込んで子供を助けたら父親が沈んで救急隊に助けられた話を聞いたことがあります。
このとき飛び込んだのは、私の従弟なのですが、彼はカナヅチだったのです。カナヅチなのに子供がおぼれたのを見た途端、迷わず川に飛び込んだのです。
そしてちゃんと泳いで3歳の息子を助けて岸にあげた途端沈んだのだそうです。その時ちゃんと泳いだのに、彼は今でも泳げません。息子を助けたなんて嘘みたいです。
本当に子供の頃からわがままでグウタラだった従弟のどこにそんな勇気があったのか、親せき中の七不思議となっています。
彼曰く、気がついたら飛び込んでいたのだそうです。息子を岸に上げて安心したら、カナヅチだということが頭をよぎり、後は水の中でパニックになったのだそうです。
彼は、本当は「自分よりも大切な人」がいる人だったのです。大切な存在のためなら、命をかけられるほどに。
普段の彼の印象は臆病で火事が合ったら妻子を捨てて逃げてしまって、自分が安全になったら「あ!妻と子供を忘れて来た」と言って泣きながら消防団の救助を待っているようなイメージなのです。
でも、もう親せきの誰も、彼のことをそんなふうに言う人はいません。多分この逆もあると思います。如何にも勇敢そうに見えても、カナヅチなら「私泳げないのです。息子を助けて下さい。誰かー!!!」と必死で助けを求める人もいるでしょう。
ここが、「自分が1番」か「自分よりも大切な存在がいる人」の違いだと思います。いざということがあるとこの2種類の人種は明確に別れるでしょう。でも、いざという時は滅多にきません。私の従弟のような人はわかりにくくて損だと思います。
でも、彼の奥さんは、「私はそういう人だとわかっていましたよ」と言うのです。彼の奥さんはしっかりした彼よりも1歳年上の美人です。
グウタラ従弟は老舗旅館の一人息子で、その彼と結婚したということは必然的に旅館の女将さんとなってしまいます。できた嫁だと叔母さんのお墨付きです。
「あのグウタラ男のお嫁さんにはもったいない」と言うのが彼の両親を初め、親戚一同の意見だったのですが、彼女は彼の「いざとなった時」の隠れた勇気を知っていたのでしょうか。
毎日妻の声を聞きたくて帰るコールをして妻のためなら火の中水の中といった男性も、私の従弟のような隠れた妻子命の男性もいます。「大切の表現」は人それぞれなのですね。
でも、従弟のお嫁さんは、どんな事があっても彼を信じていれば幸せになれると思って旅館の女将なんてきつい仕事ができるのだそうです。女性も大切な人のために強くなれるのかもしれませんね。我が従弟ながら、「いい男だったんだ」と見直しました。