周りに評価されなくても自分で誇らしいと感じることが才能の種の理由
才能を見つける方法は色々あり、ポジティブな側面だけじゃなくネガティブな面から見つけることも出来ます。
たとえばイライラすることや怒り悲しみを感じること、そうした感情が大きく動くことに才能の種が眠っている可能性もあります。その中には分かりづらいものもあり、「これって才能なのかな?」と分からなくなるものもあるかもしれません。
自分が誇らしいと思えることは何か?
その1つが、周りはそんなに評価してくれなくても自分でそれを誇らしいと思えることがあれば、それは才能かもしれません。自分だけ舞い上がって周りは評価してくれないなら才能でも何でもないと思っても、逆をいえばそれだけ夢中になれることが大切です。
逆に誰かに評価されたからやる気が出る、評価されなかったらやる気が出ないと周りの人中心でやる気が上下するなら、そもそも自分でそれに夢中になることはないかもしれません。
これまでハマった夢中になったことを思い出すと、それは誰かから評価されるされないに関係なく、親に怒られてまでもそれにハマっていたことはありませんか?もちろんやっていることを色んな人に批判されたらヘコむかもしれませんが、そんな中でも夢中になれることがあれば、そこには才能が眠っている可能性があります。
そもそも才能がないことをやっても自慢したいと思えるような誇らしい気持ちは出てこなく、せいぜいお金のため、人のためなど外部のために頑張るというモチベーションがないと続けるのが苦しくなると思います。自分一人でも「やった!」とか「楽しい!」といった気持ちを感じて、充実や満足が得られるなら、それは幸せではないでしょうか。
才能を信頼していると・・・
才能を信頼してそれぞれの分野で一流になっている人は、才能がまるで振ってくるかのように自分を動かしているかのような感覚になるようです。
たとえば、歌を作る人は曲が自然と頭の中に流れてきたり、料理人であれば調味料は計らなくても才能がこれくらいと教えてくれるという人もいます。もちろんそれまでの経験が関係しているのでしょうが、普通の人ではいくら経験を積んでスキルを身につけたとしても、そうしたオリジナルな才能は全ての人が発揮出来ることはないかもしれません。
人それぞれ自分の才能を発揮することで、数値やデータで計ることが出来ないような特別な才能、オリジナリティが発揮されるのではないでしょうか。
火事場のバカ力など思いもよらない力を発揮する人は、急に潜在能力を引き出すなど、目には見えない世界も解明されつつありますが、才能もその1つで、才能を発揮している人はイキイキしています。
そのイキイキは感情的なエネルギーの違いで、そのエネルギーのリズムや周波数が潜在能力に影響を与える違いといえるかもしれません。それぞれのスポーツでも仕事でも、目には見えないけど特別な感覚を元に才能を発揮している人は、どの業界でも名前を残している人に多いようです。
こうしてあげたいと思うものは才能
そうして他人の評価に関係なく自分が誇らしいと感じること、信頼出来る才能があること、そしてこうしてあげたいと思うことは何でしょうか?見返りを求めなくても何かをしてあげたい、たとえば料理人であれば美味しい料理を作って喜ばせてあげたい、スポーツ選手であれば自分のプレーで感動させたいなどあるかもしれません。
誰かの評価や周りのことがモチベーションになっているなら、何かをしてあげたらしてもらうギブアンドテイクがないとやる気が起こらないかもしれません。ですが、これでこうしてあげたいという自分の才能で誰かに愛を与えたいと思う人は、たとえ何を得なくても満足出来ます。
それも、たとえ相手がそこまで喜ばなかったとしても「次はどうすればもっと喜ぶかな?」などの好奇心や自信が先立ち、溢れる愛が留まることがないようです。溢れ出てくる愛に気付き、それを周りの人と分かち合って喜んだり、自分の中に溢れるようなエネルギーを感じ始めると、それだけ幸せな気持ちが湧いてくるようです。
もちろん良いことばかりではないかもしれませんが、才能を発揮している人はよほどのトラウマにあたったりしない限り、溢れる愛情に意識がいくのでそのエネルギーが留まることがないようです。成長していくにつれて才能を発揮する形が変わってきても、追求し続ける人はいつもワクワクと幸せを感じながら生きているようです。
かといって才能が見つかったらもうずっと幸せな人生かというと、それは自分の生き方次第で、やってくるチャレンジも好奇心をもってワクワクしながら進むことが出来れば、大きな幸せや充実感を感じることが出来ると思います。