本当の自分に触れる事で、迷いを払拭する方法
生きる上で、疑いや迷いは禁物です。疑いは不安を招き、迷いは挫折をもたらします。なので、何かをやると決めたら、疑いや迷いを捨て、非効率的でも良いから、とにかくどんどん動いて、自分なりのやり方を見つける事です。
効率や正しい間違いで判断しようとするから迷いがうまれ、出来なくなってしまう。完璧主義依存症とも言い換える事が出来るでしょう。
今日は本当の自分に触れる事で、迷いを払拭する方法についてお話ししようと思います。どうぞ最後までおつきあいいただき、すばらしい人生を歩まれてください。それでははじめようと思います。
本当の自分は一体どこにいるのか?
統計をとったわけではないので、正確な数値は分かりませんが、以前お会いしたカウンセラーの人の話では、97%以上の人間は、自分の本心が分からずに生きているそうです。分からないというより、考えないようにしていると言った方が正確だと思います。
わたしも、学生の頃、自分探しの旅に出た事もありましたし、悶々と考えているだけの時期もありました。しかし、どれだけ考えても答えは出ませんでした。
自分が何なのか、どんどんわからなくなっていったのです。結論としては、現在も自分がどういう人間なのかは分かりません。というよりも、自分はこういう人間だと決めた時点で間違っているという結論に達したわけです。
たとえばですね、今まで酷い事ばかりをしてきた人間も、その瞬間から善行をし善人に変わる事は出来るのです。それが人間の良さです。どんな罪を犯しても、今良い事すれば、瞬時に変われるわけです。
仮に、殺人犯だったとしても、電車で疲れている老人に席を譲ってあげたら、それだけを見れば良い事をしているわけですから、感謝もされるでしょうし、良い事をしたという気分にももしかしたらなるかもしれません。
殺人と席を譲ったという行為をごっちゃにするから、というかその罪のインパクトが重過ぎて、些細な善行をかき消してしまうのでしょうね。
なぜ、犯罪者を全員極刑にしないのかというのはわたしも思った事があります。たとえば、暴走族は全員、無期懲役にしますとか、万引きしたら、死刑です・・・などとすれば、誰も悪い事はしなくなるでしょう。
そしてこの世から悪人がいなくなり、とても平和な生活がおくれるようになります・・・そう思っていました。
しかしながら、わたしを含む、すべての人間は、所詮は教育されただけの動物に過ぎず、間違いをおかすものなのです。わたしは万引きをしない自信があります。
それは、わたしが、万引きをした事がないのと同時に、欲しいものは自分で働いて稼いだお金で買うという、一般常識が備わっているからです。
また、商品をとられてしまった、経営者の気持ちも分かりますし、もし見つかり捕まってしまったら、わたしの家族達に申しわけないですからね。だからやりません。しかし、あくまで仮定の話ですし、絶対にしませんが、世の中には絶対というものは存在しません。
もしわたしが、解雇され、1ヶ月間何ものまずくわずに生死の境をさまよっている状態なら、コンビニでパンを盗んだりするかもしれません。それはその時になってみないとわかりません。
今まではたまたま、そうゆう状況にならなかったから、そのようにならなかっただけで、実際にその状況になったらどうなるかわからないのが人間です。
つまり、このような猶予を持たせておかないと、人間というのは間違いをおかす生き物なので、刑務所で更正する機会を与えておく事で、真人間として改善する可能性に期待しているわけですね。
つまりは今、この瞬間瞬間の自分が自分であり、過去の自分はまったく自分とは関係ないのです。自分がこういうところがあるというのは、学習出来ますが、過去の情報から、自分はこういう人間だと思い込むのは、完全な間違いなのです。
本心にふれ迷いを払拭する
迷いを払拭するには、その残り3%に入るしか、ありません。これは、あなたがどうしたいかという話です。本心にふれるためには、毎日の自問自答で、本当の自分を探して行くしか方法がありません。多くの人は、日々の忙しさから、この作業を怠ります。
仕事や家庭の事でいっぱいいっぱいで、考える時間がないと言って、本心と向き合う事から逃げているのです。これでは、その人の人生は一生、他人のために生きるだけのサラリーマン人生です。これでは幸せはつかめません。
わたしは、1日24時間自分の本心と向き合って生きています。わたしの場合は少し特殊なのですが、無意識的に常に考えているようです。そのためか、面倒くさいと言われる事もありますが、そのため、自分に素直に生きれてはいるかなと思います。
人生を最大限楽しむためには、自分の本心を見つけ出し、それを実行する事ですね。