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「人付き合いは苦手。」それがただの思い込みだと知る方法

私は子供の頃からずっと人付き合いが苦手でした。正確にはずっとそう思っていました。母によると「あんたは子供の頃から友達だけには恵まれたわよねぇ」と言います。???まったくちんぷんかんぷんでした。自分では人付き合いが苦手だと思っているのに、友達に恵まれていた?意味が分からずただ時間だけが過ぎて行きました。

この正解を知りたいですか?もしかしたらあなたも人付き合いは苦手じゃないかもしれません。最後までお付き合いいただければその答えは分かると思います。どうぞ最後までお付き合いください。それでは始めますね^^

1:自分は○○だというのは間違いである

それが誰の意見であれ、あなたに○○だと言う人がいたらそれは間違いです。それが肯定的な意見であったとしても、否定的な意見であったとしてもです。正確には、そういう一面もあるかもしれないというだけであり、「他人の話は話半分で聞いとけ」と言われる所以です。

人間も物事も多面体の立体で形成されています。他人の観察というのはその場限りの平面での観察であり、監視カメラと同じなんです。監視カメラというのは、コンビニで強盗の顔や不審者の確認に使うのはとても有効なんですが、残念ながら真実までは見いだしてはくれません。

むしろ余計事実をこじらせる事すらあるでしょう。相手の行為を見て判断しているだけで、その人がなぜそんな行為におよんだかを理解しようとはしてくれません。あなたにも私にも、優しい面もあれば冷たい面もあり、寛大な部分もあれば、心が狭い部分もあり、強い自分もいれば、弱い自分もいてと本当に人の人間性というのは様々です。

それは性格などではなく、人間や事柄の持っている何百何千とあるただの一面に過ぎません。これはどんなに素晴らしいと言われる人でも持っています。ただ、偉人と呼ばれる人達は自分にこういう部分がある事もよく知っているため、それを見せないように心がけたり、見せたとしても気にせずプラスの面だけに焦点を当てているため、偉大に見えるだけなのです。

なのでどんな人間にも彼は○○だと断言してしまった時点でその意見は間違いです。そういう一面もあるという事であり、それはその言った人にも当然あるものです。常に強い人・優しい人などこの世にいません、断言出来ます。人というのはそのときの心理状態により性格が変わるというよりも、その起こった出来事に対してなんらかの形で反応する生き物だからです。

ネガティブな事が起これば、ネガティブで返そうとする人もいれば、マイナスをプラスで返せる人もいます。こういう人達は多くの支持を集める事が出来ます。

2:他者の決断に人生を委ねない

当時は私もいろんな問題を抱えており、衰弱しており、そのときにうまく気持ちを伝える事が出来ず対立してしまった人に「おまえは人付き合いが出来ないヤツだ」と言われてしまった事が原因でした。

最初はそんなわけないだろと思っていたのですが、次第にそれを信じるようになってしまい、一緒に旅行に行ったり、飲んだりするような友達はいても、友達はいないんだと思い込むようになってしまいました。

そして私と関係を築こうとする人間や、好意を寄せて来てくれる人間をすべて拒絶するようになってしまいました。信じる力というのは恐ろしいものです、事実までねじ曲げてしまうのですから。結局、時間の経過と友人達のあったかい思いやりでその歪んだ考えはなくなりましたが、あなたの人生ももしかたしたら他人に決められた自分ではありませんか?

それが仮に親や恋人、親友の意見であったとしても、それは事実ではなく、そういう一面も持っているというだけであり、あなたの価値や能力を決定するものではありません。あなたは○○○○という名前で、現在も生きており、そこに存在している。ただそれだけでいい。

あなたを定義する必要などどこにもありませんし、誰にも出来ないのです。人間の能力や可能性が無限だと言われる理由はここにあります。ここでもし私が人付き合いが出来ないと思い込んでいたとしたら、私はきっととても辛い人生を送っていたでしょう。

実際、私と話す人はみな、とても笑顔で、幸せそうに話をしてくれます。そしてまた話そうねと言ってくれます。何か心配事があったら連絡もくれたり、良い事があったら報告してくれたり。とても素晴らしい関係が築けております。つまり私は、とても素晴らしい人付き合いが出来る力を持っているわけです。

どこに焦点を当てるかです。ネガティブな面にフォーカスすればマザーテレサだってガンジーのような聖人だって間違いだらけの人間に見えてきます。何を信じるか、そこに全神経を集中させてください。励ましているわけでもなんでもなく、本当に誰もあなたの価値など決められないのです。

事実、私は母の言っている言葉も私の持っているある一面であるだけだと肯定も否定もしていません。私は私であって、何の評価も不要であり、他者の意見などで決定されるべき存在ではないのです。私は人間であり、人間にはすべてを叶えられる無限の可能性があり、何者でもない。

なので、私は○○だという偏見や先入観は自分の可能性を狭めるだけなので、さっさと捨てた方があなたのためです。私とまた関われるようになってよかったと涙まで流してくれるたくさんの人達を見ていると、本当にそう思います。

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