批判に感謝出来ると自由になる?批判を言う人の心を知る
インターネットを見るとところどころで批判のコメントが沢山あります。批判を言っても誰が言ってるか分からないようなサイトでは批判ばかり、批判を言う人同士が集まっているようなサイトもあります。
そんな批判を見ると反論したくなったり、逆に一緒に批判したくなったり人によってそれぞれだと思いますが、批判を批判だと捉えると自分が言われたら嫌な気持ちがするかもしれません。
ですが、批判を言う人の本質、心の動きなどが分かると、これまで批判に感じていた嫌な気持ちもだんだんと和らいでくるかもしれません。
批判も言い方によって伝わり方が変わる
あなたは誰か、もしくは何かを批判したことはありませんか?「あれは気にいらない」とか「なんであんなこと言うんだ」とか、人なり物なり批判することは誰でも一度はあるかもしれません。
小さい頃から批判するのが癖になっている人、小さい頃は批判していたけど批判をするのが嫌になって批判しなくなった人、批判している人を見て嫌な気持ちになり、批判しないと決めた人、色々いると思います。
もちろん批判ばかりしているのもバランスが悪い感じがしますが、言いたいことがあるのにそれを我慢したり無理やりポジティブな方向から言うのもバランスが偏るかもしれません。
批判によっては人を傷つけたり何かのトラブルのきっかけになるようなものもあり、その1つ1つのパワーが違う場合は、どれだけどんなことを言うとバランスが悪くなるかは違いますが、相手を傷つけない形で自分の意見を言う、それが批判の方向から言ったとしても、そこに相手を思いやる気持ちや傷つけるつもりがないなら、自分の意見を伝えるだけにすることも出来ます。
最初から「批判したら相手を傷つける」と思っていたら自分の言いたいことも言えないかもしれませんが、自分の意見を相手が傷つかない形で思いやりながら伝えるといったことであれば、思ったことも言いやすいのではないでしょうか。
批判を言う時はどんな時?
ですが、そもそもなぜ批判が出るのか知りたいところです。批判がなければ上手くいくのにと思う人もいるかもしれませんが、自分が批判をする時はどんな時でしょう。それは自分のことを分かってもらえなかった時かもしれませんし、認めてもらえなかった時かもしれません。
やたらうるさい人と一緒にいたら「うるさい」と思うかもしれませんし、イライラしている人といたら「そんなイライラするなよ」と思うかもしれません。
オドオドする人がいれば「そんなオドオドしなくていいよ」と思うかもしれませんし、落ち込んでいる人を見れば「元気だしなよ」と励ましたくなるかもしれません。
自分は批判をしないと決めている人でも、うるさい人といたら「うるさい」と言いたくなる、でも批判になるから言わないというポジティブ主義の人もいるのではないでしょうか。
それが良い悪いではなく、なぜ批判、それぞれ違う意見が出るのかというと、気持ちの綱引きのようなものがあるからです。
気持ちの綱引きをどうやるか?
うるさい人がいて、その人をうるさいと思わず全ての人がうるさい人になったら世界中はどうなるでしょうか。落ち込む人がいて誰も何とも思わずみんな落ち込む人になったらどうでしょうか、みんなイライラになったら、みんなオドオドしていたら、それもバランスが悪いと思いませんか?
世界を見てみると面白いのが、イライラをぶつけあっている国もあればほんわかして平和主義の国もあり、オドオドして力がなくひっそり存在しているような国もあれば、色々な国があります。
もしそれらの国が全て1つの気持ちに偏ったとしたら、あまり想像は出来ませんがバランスが偏っているように見えます。
それは国という大きな規模だけじゃなく人と人のコミュニケーションにも当てはまり、批判は気持ちのバランスが偏っているよと教えてくれるサインと捉えることも出来ます。
あまり自分が何でも出来ると思ってたら足元すくわれるよ、そんな批判もありそうですがそれはポジティブに自分は何でも出来ると大口叩いている人は小さなことが見えなくなり、足元をすくわれることがよくあります。
また、「もっとこうして欲しい」といった切実な願い、それを批判と捉えるか人それぞれですが、そうした正直な気持ちを話してくれている人は、自分にとって気持ちの偏りの答えを教えてくれているようなものと捉えることも出来ます。
そうして批判を違う角度から見ると、自分の気持ちの偏りを教えてくれるサインだと知れば、それに感謝することも出来るのではないでしょうか。
批判もなく全て上手くいくという姿勢でいけば、やはり見ないといけないところが見えなくなりがちですが、それを教えてくれます。
批判は言った言葉よりも、それを発する人の気持ちがどういう気持ちでそれを言ったかに気付けるか、それによって感謝も出来るようになってくると思います。