生きていく知恵と学生時代の偏差値は別物です~前編~
偏差値主義と「社会力(生きていく知恵)」の低下問題
筑波大学教授の門脇厚司先生の造語で「社会力」という言葉があります。この社会力とは、「人が人とつながり、社会をつくっていく力」を意味するのだそうです。これがまさに「生きていく知恵」と言えるでしょう。
「人と人とが互いに相手に関心と愛着と信頼を持ち、それを下地に協力して社会というものを作り、その運営に積極的にかかわり、もっといい社会を作るために汗を流そうとする意欲のことであり、またそのための工夫や新しい案を考え実行することができる様々な資質や能力のことといえます」
このように門脇教授の著書『いきるちから 社会が危ない!』に書かれています。そもそも学問とは、学習し興味を持ち、深く考え、生きる力を身に付けていくものなのです。
それが現在の日本教育現場では、受験のために学習時間は長くなっているものの、ゲーム攻略のように問題を解くテクニックを学習しているのです。
テクニック学習では、問題を解いたらそこで終わりです。テクニックの向上で高得点の取得目的が偏差値競争です。ゲームの「レベル○」と同じです。まさに学習ゲームの得点表が偏差値なのです。
しかし、先にも述べたように、学問とは、受験に突破し問題を解くことに終始するのではなく、その知識に興味を持ち、深く考え、その知識を利用して生活を便利にする知恵を思いつくまでいかなければなりません。そうでなければ、大学で学ぶことのほとんどは日常生活ではほとんど役に立ちません。
但し、実は役に立たないことなど無いのです。その知識を応用することで、実生活に結びつけることが可能かどうかは勉強の仕方次第なのです。
学問で得た知識によって、興味を持ち、深く考え、頭の中でシュミレーションし、想像することによって、やってみて応用できた喜びを知るのです。
そういった経験が、より学問を深く理解し、さらなる応用力を発展させることによって企業の研究に役立たせることにもなるということです。また、主婦発明や料理は科学の最たるものです。こういった発明や料理には成果の喜びが生まれます。喜びはさらなる発明を生むのです。
しかし、現在の教育は、受験のためだけの学習です。想像力を養う読書は電子書籍となり、本を購入する若者も減少しました。本にブックカバーを付け、しおりをはさみ、何度も読み返すお気に入りの書籍が手に馴染み大切な本は温かみを感じます。
「危ないから」と言ってブランコやジャングルジムやシーソーが撤去され、お友達と一緒に遊び、ブランコやシーソーやジャングルジムのどの高さから落ちたら「痛い」ということ、「落ちないようにするにはどうすればいいか」等を体験することができなくなりました。
確かに危険な遊具はたくさんあります。しかし、それらの遊具は、握力や筋力を使うので、遊びながら基礎体力が付きます。失敗した時の痛みを知ることで、危険な事も自分の体で体験します。
だから、「自分が痛いことは相手にもしない」という教えが成り立ちます。思いやりは想像力が無いと成立しないものです。そしてその想像力は自分の体験や疑似体験から成り立つものです。つまり、体験したことが無いことは想像できないということです。
それに何より重要な「人と人とが互いに相手に関心と愛着と信頼を持ち、それを下地に協力して社会というものを作り、その運営に積極的にかかわり、もっといい社会を作るために汗を流そうとする意欲」が薄い若者が増え始めていると思います。