その出来事は相手のせいですか?自分に矢印を向けましょう!
悪いことや不都合な事があった時、それを人のせいに思うことは多いはずです。確かに直接の原因が相手にあったとしても、先ずは自分に矢印を向けてみましょう。
誰のせいという発想で考える人
身の回りに何らかのトラブルがあった時、一体誰のせいだと犯人探しをしたり、自分のせいではないという主張を徹底したりしている人をよく見ますが、そういうのはとてもみっともない行為です。
物事を自分という発想で捉えている人に大きな仕事は出来ません。自分の我を捨て、全体を見れる人が成長をするのです。
全体を見るというのは、出来事から解決策だけではなく、時間軸も全体的に見ることが出来ます。短期的な話しではなく、将来まで見据えた解決策を見出せる人は、誰が悪いとか、自分は悪くないという様な発想はしません。
少なくとも、責任を他の人に置いている時点で成長の妨げとなっています。
先ずは自分を疑おう
こういう時に、最初は自分を疑いましょう。真っ先に人のせいにしたり、いきなり責任追及をしたり、犯人探しをして追求をするような人がいますが、その前に、先ずは自分を疑いましょう。
自分に落ち度が無かったかどうか。仮に自分の責任の範囲ではなかったとしても、自分がそれに対して良い影響を与えられなかったのか、自分ならどうしていたか等、まずは自分に対しての要因を検討してみるというのはとても大事なことです。
自分に置き換えて考える事によって、その時に責任追求をされた人の立場や気持ちに立って考え、的確にアドバイスをする事が出来るのです。
責任追求よりも建設的解決
もし誰かの責任が発覚したとしても、責任追及ばかりに腐心してはいけません。責任を追求した所で、そこからは何も生まれません。ただ感情の矛先になるだけのことでしかありません。
そういう事に時間をかけた分、そっくりそのまま無駄になってしまいますから、大切な事は責任追求よりも建設的な解決策を考える事です。
もしも責任を追求するのであれば、解決策を考えさせるという追求の仕方をしましょう。責任ばかり追求してしまうと、今後はもう責任逃れの方法しか考えなくなったり、チャレンジ精神もなくなってしまいます。
責任よりもチャレンジする事を推奨し、失敗に対して寛容になって、失敗した時には、次に失敗しない方法や、次によりよくなれるための方法を考えさせる。そういう前向きな事が大切です。
誰かのせいだとか、責任を取らせるというような発想は百害しかない事を理解しておきましょう。