人生最高の時はいつ?今でしょう!という生き方のできるコツ
これまでの自分の人生の中で、最高の時はいつだったろうか、ということを自分に問いかけてみたら、それは「今でしょう!」と言える自分でありたいものです。若い時も、中年の時も、年老いてからも、いつでも嘘でなく「今が最高の時だ」と思えるとしたら、それは素晴らしいことです。そうなれるコツを紹介します。
今が最高、明日は分からない
「今こそ最高」という心理状態は、どういうものであるかと言えば、「こんな満腹な状態がいつまでも続くはずがない」という不安を、胃の腑のあたりにぶら下げているということでもあります。だって今が最高であれば、あとは下るしかないでしょう。
今をありがたく思う、ということは、明日は分からない、ということでもあります。多くのサラリーマンは、仕事で存在感を示し得た帰り道、「ふう。今日は何とか成功した。だけどこの次には大失敗するかもしれない」と感じています。そしてその自信のなさが、今の幸運をいやがおうにも輝かせてくれ、幸福が天から降り注ぐのを感じるわけです。
悲観と楽観は紙一重のものだ
誰の人生行路にも起伏や躓きや僥倖(ぎょうこう)や墜落はあったはずです。がむしゃらだった時代や、下積みに耐えた時代にも、それはあったでしょう。涙目で太陽を見上げた薄幸な青春時代も経てきたかもしれません。
しかしそれでも、「私はいつの時代にも、〈今が最高〉という思いを抱いて生きてきた」と語ることは可能なのです。現在をどう評価するかを決めるものは、自分の気持ちのあり方一つだからです。悲観と楽観、後ろ向きと前向き、否定と肯定の差異は、紙一重のものです。
明日への不安が今を慈しむための秘訣になる
人間は太平楽が長く続き過ぎたら、腑抜けになってしまうものだと言えます。先ほど言った「明日への不安」がなくなったら、人は誰も自堕落への道をたどり始めます。安心しきった魂は放漫の池に落ち、怠慢の沼に沈むに違いありません。
ある意味で自分の過去はつくるものですから、「いいことの多かった過去」を頭の裏側に貼り付けておいて、あえて不安の風を額いっぱいに吹かせ、現在只今を慈しむことがうまく生きる秘訣です。
生きていることに感謝する生き方
今現在、借金に苦しんでいたり、病苦に苛まれたりしていたら「今が最高の時だ」とは思えませんよね。一刻も早く、この辛い状況から抜け出したいと思うでしょう。でも苦の原因と真っ向から戦っている自分がいたら、それはそれで一時の試練であり、次のステップへの踏み台ですから「これはこれで最高だ」と思えないとは言えません。
ましてほぼ平穏な状況であったなら、「これが最高だ」と受け止めることは、少しも無理なことではないし、変なことでもないのです。こうして無事に生きていられることを、素直に神に感謝するという心境になればいいのです。
感謝の心をなくしたら人間は転落していく
感謝と不安は大切な感情です。それを忘れたオヤジは傲慢に染まります。根拠のない自惚れが、倦怠を紡ぎます。カーブを曲がりきれなかった電車のようにコケます。食う、寝る、遊ぶだけの暮らしは、たちまちふざける、意地悪、八つ当たり、悪行三昧…といった荒みに陥り、みずから転覆していきます。
何よりも、自分で自分が嫌いになっていきます。果ては、宝探しみたいに汚れた性を探し求めるようになり、人を泣かせ不幸を押し付け、「今が最高」の反対の境地に滑り落ちていくことでしょう。それが自堕落です。
死ぬ時でさえ、今が最高と言える
「今が最高」と感じることは、決して自惚れることではありません。世間を見回せば、上には上がありますし、下には下がありますから、自分はどう見ても中くらいの存在です。それでも「最高」だと感じることは可能です。なぜなら、それは自分自身にとっての幸福感であり、自分らしさの満足であり、他との比較ではないからです。
年老いて末期を迎えた人が、親族の手を握って皆に心から感謝し、「私は今が一番幸せだよ」と言ってあの世へ旅立つのも決して嘘ではありません。いろいろとシンドイことも多かった人の世ともこれでお別れだから、心からほっとして深い解放感に浸りつつ、静かに息を引き取れたら幸せです。死は悲しいというのは一面のことです。
今を大切にすれば豊かな生き方ができる
何はともあれ「自分の人生で今が一番幸せだ」と確信して生きていけることは素晴らしいことです。とてもそうは思えない、という不運な境遇の人も中にはいることでしょう。でも大部分の人は、心の持ち方一つできっとそう思えるはずです。
そしてそのように確信できたら、もうしめたものです。随所で主となって、フルに力を発揮し、感謝の気持ちを土台に意地悪や自堕落を排除して生きていけます。人間が素直になり、性格もよくなって、人からも愛され豊かな人生を築き上げることができるに違いありません。