なぜ、良い人よりもダメな人のほうが好かれることがあるのか?
あなたの周りで、自分から見て良い人とダメな人はいませんか?ポジティブなことを言って人の意見を聞くタイプの人、でもネガティブな人は受け入れられないようなタイプの人。逆にネガティブなことは話すんだけど親しみやすくてポジティブな人も言い寄ってきやすい人。
良い人は良い人なんだけど、受け入れられる人と受け入れられない人がいて、人生苦しそうにしている人と、適当そうなんだけどどんな人でも接しやすいような人、なぜこうした違いが出るのでしょうか?
自分の捨てた部分はどこ?
「もっと良い人でいなきゃ」といって悪口を言わないようにする、相手の話をちゃんと聞こうとする、それ自体は素晴らしいことではないでしょうか。
話も聞かない、悪口ばかり言う学校や職場にいたら、どんな人でもそういう風になったり、逆に近寄らないようにしたり。良い人は付き合いやすいように思えますが、良い人からすれば付き合いづらい人もいるかもしれません。
それは、良い人悪い人と分けてしまっているので、良い人は悪い人を受け入れられない、悪い人は良い人を受け入れられなくなると、それは表面的な良い人になるかもしれません。
良い人というもの自体が曖昧なので、どこから良い人でどこから悪い人かは人によって全然違いますが、どんな人とでも対等に付き合える人は良い人悪い人と区別をしていない人のようです。
周りから良い人と思われている人で、どんな人とでも接しやすい人もいますが、「自分は良い人にならないといけない」と思っている人は、自分の悪いところを無視する、切り離すようになると、人間関係の問題が増えてきます。
なぜなら、その捨ててしまった、見ないようにしてしまった自分、たとえば悪口を言ったりイライラしたりする自分を捨てても、周りにそういう人がいたら自分の気持ちが動かされませんか?
もし動かされず相手を理解出来る人は、そういう自分も受け入れている人で、理解出来ず出来るだけ距離を取ったり接しようとしない人は、そういう自分は受け入れていない、見ないようにしている可能性が高いです。
どういう部分に反応するか?
受け入れられる人と受け入れられない人は、自分が他人と違ってどういう反応をしているかを見ることで分かります。「この人は苦手だな」「この人はなぜこういうことをするんだろう?」とオドオドしたりイライラする人がいるかもしれません。
自分の言いたいことを言える人と言えない人、この人はどうしても許せないという人がいるかもしれません。ですが、他の人も自分と同じように反応するかといえば違いませんか?自分は嫌だと思っている相手も他の人からすれば普通に受け入れられる人、面白い人と思うかもしれません。
じゃあ、なぜ同じ人なのに違う反応をするのかを見てみたら、それは自分が受け入れられる人か受け入れられない人かという違いがあります。そして、人は自分の鏡なので、受け入れられない人は昔捨ててしまった自分、受け入れられない自分をその人に投影して、嫌な気持ちが出てくるということです。
たとえば、小さい頃高いところから落ちて高所恐怖症になったとします、すると昔落ちたところとは関係ないところ、高いとこならどこでも怖くなりませんか?そのように、見たくない自分を周りの人で見ると、見たくない自分が思い出されて嫌な気持ちが出てくるようです。
嫌な人は自分を映す鏡
そうして嫌な気持ちがする人は、自分の嫌な部分がその人に見えてそういう気持ちが出てくることが分かれば、そういう自分を受け入れることで気持ちも湧いてこなくなるでしょう。どんな人でもポジティブなところとネガティブなところがあり、そのどちらかを抑圧したり見ないようにすると、何らかの形で反動が返ってきます。
上の場合でいうと、今まで見ないようにしてきた自分が周りの人に見えることで嫌な気持ちが出てくるということです。なので、過去の抑圧してしまった自分を周りの人は見せてくれているんだと分かれば、嫌な人にも感謝の気持ちが出てくるかもしれません。
そして、その人に見える自分を受け入れ、その自分でもいいと認めてあげることで、抑圧していた自分の力がだんだんと湧いてきます。その嫌な自分で周りを嫌な気持ちにさせるというのではなく、それを受け入れると自分の気持ち、考え方、行動を役割にはめない自由に行動出来る分、嫌な気持ちが湧きにくくなります。
今まで嫌だと思っていた人が嫌じゃなくなる、それどころか抑圧していた自分を教えてくれて、こんな自分でもいいんだと分かれば、それだけ心の距離が近づくでしょう。