たとえ人付き合いが苦手でも、仕事に悪影響がない理由とは?
人付き合いから得られるものはメリットだけではない
ちょっと大きな書店に出向いてビジネス書のコーナーを回ると、どのような時期であっても必ず「人脈がどうのこうの」というタイトルのビジネス書を見かけます。人脈を広げれば自分の仕事が有利に運ぶという内容です。
しかしながら、僕は以前から「人脈」という言葉に懐疑的です。多くの人がこの言葉に踊らされ、人脈というものを躍起になって追いかけている現状を不思議に感じます。確かに、自分一人ではなかなかこなせない仕事も世の中には多いでしょうから、他人の力を借りることを必要とする場面はあるでしょう。しかしながら、人脈さえ確保すれば後はどうにかなるという考えは、少なくとも一般的な若手ビジネスパーソンなら今一度考えなおすべきです。本当に良い人脈をつかんで世渡りができるのは、それこそ大企業の社長さんだけではないでしょうか。
無駄な時間を切り捨て、自分の時間を確保
人脈というものはタダで手に入るものではありません。まずは相手に気にいられる必要がありますから、人脈をつかむためにはお金と時間が両方必要になるのです。それは投資です。投資に見合った結果が最終的に得られれば良いですが、世の中そう単純にはできていないので、大金をはたいた、あるいは膨大な時間を費やしたのに、せっかく得た人脈が大したものではなかったということはよくあります。
僕はこういう展開が嫌いなので、とにかく人脈という言葉にはこだわらないようにしています。もちろん、職場の誰かが自分の仕事に協力してくれるという時にわざわざ拒むようなことはしませんし、相手に求められれば私も力を貸します。けれども、それだけで仕事の全てが片付くと過信するようなことはありません。結局のところ、仕事をどのように片づけるかは自分次第だと考えているからです。
人脈という言葉を気にしすぎて、というか他人の目を気にしすぎて、自分の仕事で最良のパフォーマンスができなくなるようでは本末転倒もいいところでしょう。例えば、人脈を得るためという建前で参加した飲み会。お金も時間も消費します。その結果として得た人脈が果たしてどれほどのものでしょうか。飲み会に参加しないと後が怖いから、と考えているだけであればまさしく時間の無駄です。本当に仕事ができる人は、他人の目を気にするあまり無駄な時間を過ごしたりしません。
良い仕事をするためには、結局のところ自分の時間をいかにして確保するかということが重要なのです。周囲から「冷めたやつだ」とみなされることがどれほどのことですか?はっきり言ってしまえば、問題でもなんでもないのです。他人に合わせ過ぎて自分を見失うより、他人に嫌われてでも確固たる自分のスタイルというものを確立すべきです。
僕の大学の後輩に、こんな女の子がいました。外見的な印象は決して派手ではなく、社交的な性格ではないので、学内でも目立たないタイプの子でした。私はてっきり、おしゃべりしたりお付き合いしたりしてもそれほど楽しい子ではないのかなと、本当に失礼な考えを持っていました。
ところが、ふとしたことで彼女と話をする機会があり、私は驚かされました。まず、彼女が非常に理知的であったこと。それ以上に、とても温厚で気配りのできる性格であったことに。これは少し理不尽な話ですが、社交的ではないというだけで勝手に「あいつは性格が悪いのではないか」とか「仕事ができないのではないか」とみなされることがままあります。でも実際のところはそうでないのです。本当に頭の良い人は、人付き合いの範囲をむやみに広げたりしないのです。人付き合いの輪を広げることが、必ずしも自分の人生においてプラスになるわけではないということを知っているわけですね。
結果を出せばいい
人脈とかグループワークとか、そう言う言葉に振り回されて戸惑うくらいなら、まずは独りで黙々と仕事に取り組んで結果を出せばいいと僕は考えます。最初、他人が自分について寄せてくる印象が悪いものであってもかまわないのです。とにかく仕事で良い結果を出せば、周囲の評価は必ず好転します。結果を出すことによって、自分がむやみに私財を投じなくても、仕事に協力してくれる人間は集まってきます。自分が努力したことによってつかんだ結果。その結果がもとで他人の信頼を得て、そこから広がる人の輪こそ、本当の意味での良い人脈です。