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天龍革命勃発!最強タッグのパートナー・鶴田を目覚めさせた男

全日本に飛び火した長州革命

日本のプロレス界では数々の”革命”が巻き起こった。その最初となったのが1980年代前半に勃発した「長州革命」だろう。当時、新日本プロレスに在籍した長州力が、同僚の藤波辰巳(現・辰爾)やエースで社長のアントニオ猪木に反旗を翻した。当時は日本人同士の仲間割れなんて考えられなかったのだ。

しかも長州革命はとんでもない方向に展開する。長州はジャパン・プロレスを設立し新日本プロレスを離脱、ライバル団体である全日本プロレスのマットに上がったのだ。長州革命が思わぬ形で飛び火したのである。

長州を迎え撃ったのは、全日本プロレスで最強タッグを組んでいたジャンボ鶴田と天龍源一郎だった。しかし長州は全日本プロレスのスタイルが合わず、僅か2年で新日本プロレスにUターン。猪木の下で育った長州と、ジャイアント馬場が作り上げた全日本プロレスでは所詮は水と油かと思われた。

当時、新日本プロレスは「過激なプロレス」を標榜し、ぬるま湯体質と呼ばれていた全日本プロレスをことあるごとに批判していた。新日本プロレスはスピード感溢れる「ハイスパート・レスリング」で大ブームを巻き起こしていたが、全日本プロレスは70年代以前のゆったりしたテンポのアメリカン・プロレスをずっと続けていたのである。

ずっと鶴田の後塵を拝してきた天龍

鶴田は全日本プロレス入門当時からポスト馬場の座を約束されていた。その後、鶴田より1歳上の天龍が入門したが、天龍はずっと次男坊扱いだった。鶴田の天才的レスリングに、天龍は全く追い付けなかったのである。

そんな天龍にチャンスが訪れた。それが長州の全日参戦である。長州というイデオロギーの違う外敵を得たことで天龍は闘志を剥き出しにして戦い、男を上げた。また、全日本軍のメンバーも、ジャパン軍相手には激しい戦いを魅せ、全日本マットは活性化した。

しかし、長州がいなくなると全日本プロレスは元のぬるま湯体質に戻った。このままでは元の木阿弥になると天龍は危惧したのだ。

天龍は国際プロレス出身の阿修羅・原と組んで、鶴田ら全日本正規軍と敵対し、天龍革命がスタートした。

遂に鶴田がキレた!

しかし、鶴田は厄介な怪物だった。本気を出さなくても勝ってしまうのだから、のんびり戦っている。長州という外敵相手でもそれは変わらなかった。鶴田は長州とのシングルマッチでもマイペースを貫き通し、圧倒的優勢のまま60分ドローに終わっている。長州がいくら全力で攻めても鶴田は全く応えないのだから、長州は挫折してしまったのだ。

天龍はまず、輪島大士を標的とした。大相撲の横綱からプロレスに転向した輪島は華々しいデビューを飾るものの、その後は伸び悩んでいた。大相撲出身の天龍にとって輪島は雲の上のような存在だったが、そんな輪島の顔面を容赦なく蹴り上げた。

スタン・ハンセンを30秒間失神させたこともある。当時「真剣勝負」を売り物にしていた前田日明は「全日の天龍さんにあんなことをされたら、俺たちの存在意義がない」と危機感を強め、長州の顔面を蹴って新日本プロレスを追放され、第二次UWFを設立したほどだ。

さらに、天龍は鶴田も潰しにかかった。勝つためではなく、鶴田を本気にさせることが目的である。鶴田もようやく天龍に対して敵意を剥き出しにするようになった。

そして天龍×鶴田のシングル戦。天龍のチョップが鶴田のノドへモロに入り、遂に鶴田がキレた。天龍を高々と持ち上げ、天龍の得意技であるパワーボムで天龍の後頭部をマットに叩き付けた。口から泡を吹いて失神した天龍。鶴田が本気を出さないのは、ヘタすれば相手を潰してしまうからだった。

鶴田越えを果たすも……

病院送りにされた天龍は約1ヵ月後に再び鶴田と対戦。鶴田は天龍を大怪我させたことを気にしていたが、天龍がいきなり危険なジャーマン・スープレックスを放つと完全に吹っ切れ、前回以上に執拗な攻撃を仕掛けてきた。しかし2試合続けて無様な試合を見せられぬ天龍は、パワーボム2連発で遂に鶴田からピンフォールを奪った。ずっと次男坊扱いされてきた天龍が、初めて鶴田越えを果たした。

二人の対戦は「鶴龍対決」と呼ばれ、藤波×長州をスケールで大きく上回り、日本人同士とは思えぬ超ヘビー級の醍醐味が詰まった名勝負を繰り広げた。

しかし、鶴龍対決がドル箱カードになったことで安易に何度も対戦が組まれ、マンネリ化した。鶴田も以前ほどガンガン攻めて来なくなり、これ以上はもう名勝負はできないと悟った天龍は全日本プロレスを去り、新団体のSWSへ移籍した。以降、鶴龍対決は再び行われないまま、鶴田は他界した。

その後、日本マット界は集合離散を繰り返し、天龍は流浪のプロレス人生を歩んだ。安住の地はどこにもなかったが、ミスター・プロレスと呼ばれるまでになった。その原点となったのは天龍革命と言っても過言ではない。

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