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「飛鳥」は実は二つあった?聖徳太子が眠るもう一つの飛鳥

聖徳太子の墓はどこにあるのか?

日本古代史におけるスーパースター・聖徳太子。本名(?)を厩戸皇子(うまやどのみこ)と言い、十七条憲法、冠位十二階、遣隋使の派遣など、様々な改革をした政治家として知られている。現在では福沢諭吉にその座を譲ったが、かつては最高額紙幣には聖徳太子の肖像画が描かれていた。

仏教を厚く信仰したことでも有名で、聖徳太子ゆかりの寺院は多い。その中でも、どんな寺を連想するだろうか。圧倒的な存在感を誇る四天王寺(大阪市天王寺区)か、世界最古の木造建築である法隆寺(奈良県斑鳩町)か、あるいは聖徳太子生誕の地にほど近い橘寺(奈良県明日香村)か。

ところが、聖徳太子の墓はどこにあるの?と問われれば、意外と知られていない。答えは斑鳩の里や飛鳥の里ではなく、大阪府南東部の太子町にある叡福寺(えいふくじ)だ。

ところで今、飛鳥の里ではない、と書いたが、叡福寺付近も実は飛鳥の里には変わりがない。飛鳥とは二つあって、よく知られている奈良県の飛鳥は「遠つ飛鳥」、叡福寺付近は「近つ飛鳥」と呼ばれている。

この二つの飛鳥を結んでいたのが、日本最古の官道と言われる竹内(たけのうち)街道で、現在で言えば東京-大阪間を走る東海道新幹線のような大動脈だった。

竹内街道が開通したのが613年、即ち今年が竹内街道開通1400年という記念すべき年である。開通した当初は遣隋使を派遣した頃とあって、大陸文化を伝える重要な道だった。つまり、シルクロードの終着点だったのである。

竹内街道の石碑。現在は国道166号線になっている

観光地化されていない近つ飛鳥の魅力

叡福寺がある太子町は南河内と呼ばれる地域にあり、大阪府内とは思えない片田舎の風情がある。同じ田舎でも奈良県の飛鳥の里は観光地化されており、趣きがかなり違う。

また、四天王寺や法隆寺、橘寺は拝観料を取るし、周りは観光バスでいっぱいだ。しかし、近つ飛鳥たる南河内は叡福寺の他にも、推古天皇陵や小野妹子墓など史跡の宝庫なのだが、全くと言っていいほど観光地化されていない。

叡福寺は筆者の家の近所にあるが、観光バスが停まっているのを見たことがない。寺そのものは立派だが境内はたいてい人影はまばら、拝観料は無料で、収容台数の少ない駐車場も無料だ。とてもここに聖徳太子の墓があるとは思えない。

だが、歴史ファンにとっては逆にそこが魅力らしく、遠方から訪れる人も少なくない。観光地化されるよりは、歴史の重みをずっしりと感じるのだろう。なお、叡福寺には寺宝館という資料館があり、土日祝のみ開館しているが、ここだけは入館料大人200円が必要だ。

叡福寺の境内。この日は祝日なのにひっそりとしている

重要文化財の多宝塔。かつては五重塔だったが焼失、江戸時代に再建されて二重塔となった

聖徳太子の墓所である聖徳太子御廟。叡福寺の最も奥にある

叡福寺へのアクセス

大阪府内とはいえ片田舎ゆえ、大阪市からは遠く離れており交通の便は良くない。大阪駅(梅田駅)からJR大阪環状線もしくは地下鉄御堂筋線に乗って天王寺で下車。

そこから徒歩2分、近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅から河内長野行き準急に乗って約30分、喜志駅で降りる。駅東口の金剛バス乗り場から「上ノ太子行き」「太子まわり循環」「葉室まわり循環」のいずれかに乗って、「太子前」という停留所で下車。その目の前が叡福寺だ。

あるいは、大阪阿部野橋駅から橿原神宮前行き準急に乗って、上ノ太子駅で降りるという手もある。ただ、こちらはバスの本数が少ない。でも、叡福寺に近いのは上ノ太子駅の方で、ぶらり徒歩で歴史散策をしながら叡福寺を目指すのもよい。また、駅前にはレンタサイクルもあるので、それを利用するのも一法だろう。

河内三太子の一つ、叡福寺

今、上ノ太子駅と書いたが、叡福寺は「上之太子」と呼ばれる寺である。他にも「中之太子」と呼ばれる野中寺(大阪府羽曳野市)、そして「下之太子」と呼ばれる大聖勝軍寺(大阪府八尾市)があり、この三つの寺を「河内三太子」と呼ぶ。いずれも拝観料は無料で、車があれば河内三太子巡りというのも良かろう。

泊まりがけで行くのなら、叡福寺からちょっと離れたところに太子温泉がある。近つ飛鳥を散策したあとは、聖徳太子が浸かった(のかどうかは知らないが)太子温泉で疲れを癒し、一杯やりながら古(いにしえ)に思いを馳せるのもいいだろう。

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