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初めて新幹線の線路を走ったのは新幹線ではなく、私鉄電車だった!?

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2013.10.02

世界に誇る新幹線

日本が世界に誇る鉄道・新幹線。1964年(昭和39年)に開通し、約200km/hのスピードで東京―大阪間を約3時間で駆け抜けるという、当時としては驚天動地の列車だった。

その後、フランスのTGVとスピード世界一を競うことになるが、条件が全く違いすぎるので単純な比較はできない。ヨーロッパの安定した大地で田舎路線を走るTGVは電気機関車であり、重いモーターを積めば振動や騒音など気にせずにいくらでもスピードが出せる。

一方の新幹線は、地震が多く地盤も柔らかい日本列島で都市部を走るため、車両をできるだけ軽くする必要があり、振動や騒音にも気を付けなければならない。そのためTGVと異なり電気機関車ではなく電車を使用し、軽いモーターをいくつかの車両に分けて搭載した。

超過密ダイヤで人口密集地を走る日本では、TGVは高速運転などとてもできないだろう。もっともTGVも、いずれは新幹線と同じく動力分散方式を採用するようだが。

日本の国鉄(現・JR)は敗戦後から僅か19年で、他国を圧した世界最高水準の鉄道を造り上げた。それまで日本最高速度の列車は、東京―大阪間を6時間半で結んだ電車特急「こだま」

機関車が牽引する客車特急「つばめ」よりもスピードアップし、東京―大阪間の日帰りを可能にした特急として「こだま」はもてはやされたが、新幹線はその倍のスピードを実現させたのである。

新幹線はこのスピードを可能にさせるために、在来線とは別の専用軌道を敷設。さらに在来線のレール幅が狭軌の1067mmに対し、新幹線は標準軌の1435mmとした。高速で安定走行を図るため、レール幅を広くしたのである。

「天下分け目の天王山」がネックに

ただ、新幹線敷設にあたって難所も存在した。そのうちの一つが京都府と大阪府の府境にある大山崎付近だ。羽柴(豊臣)秀吉と明智光秀が戦った「天下分け目の天王山」の近くである。

ここには国鉄の東海道本線、京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)京都本線といった鉄道路線、さらに国道171号線に名神高速道路と、多くの交通施設がひしめき合っていたのだ。何しろ天王山の近くに淀川が流れており、スペースが非常に狭かったのである。

そこで国鉄と阪急で話し合いが持たれた。結論としては、新幹線と阪急で高架線を並べて使用することで同意した。これが思わぬ奇跡を生むことになる。

新幹線の線路を疾走する阪急電車

まず、新幹線用の高架線の建設が始まった。それが完成すると、今度は阪急用の高架線である。だが、その間に阪急が運休するわけにもいかない。

普通なら、仮設の線路を建設して新しい線路ができるまでそこを走らせるが、もっといい方法があった。阪急電車を新幹線の線路に走らせようというわけである。それなら仮設の線路を造る手間が省ける。

関西の私鉄のレール幅は、国鉄在来線の狭軌と違って新幹線と同じ標準軌が多い。阪急もご多分に漏れず標準軌だった。そのため、阪急電車が新幹線の線路を走るのに何の問題もなかったのである。関東だと私鉄は国鉄在来線と同じ狭軌が多いので、こんな裏技は使えなかったかも知れない。

阪急側の線路が完成するまで、阪急電車は新幹線の線路を走り続けた。さらに新幹線の線路上には、阪急の仮設駅である大山崎駅、水無瀬駅、上牧駅まで造られた。新幹線が開通する前年の1963年(昭和38年)の4月24日から12月28日までのことだった。

従って、新幹線の線路を使って初めて営業運転したのは阪急電車ということになる。言わば阪急電車は、新幹線線路のバージンを奪ったのだ。新幹線はさぞかし悔しかっただろう。

ちなみに、この地で新幹線が初めて試験走行するのは翌1964年(昭和39年)4月28日のことだった。阪急電車が走ってから約1年後のことだが、もちろんこの時は営業運転ではない。営業運転を開始するのは、同年の10月1日のことだ。

東海道新幹線開通という、華やかな披露宴のような祝賀ムードの中、阪急電車は「1年半も前にオレがお先に新婦を戴いちゃったぜ」なんてほくそ笑んでいたかも知れない。

現在ではスピードが全く違う新幹線と阪急電車が同じ線路を走るなど考えられないが、東海道新幹線に乗って京都府と大阪府の府境辺りに差し掛かると、新幹線と阪急線が隣り合っているので、新幹線と阪急電車が併走するシーンを見られるかも知れない。もちろん、阪急京都本線に乗っても同様である。

一度機会があったら、新幹線と阪急線の線路を見て、当時の情景を想像するのも面白い。

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