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馬場と猪木の40年戦争!その確執はデビュー当時からあった!?

力道山の後継者

「日本プロレス界の父」と言えば力道山を置いて他にいない。戦後の日本にプロレスブームを巻き起こしたのが力道山だった。だが、1963年に39歳の若さでこの世を去ってしまう。

もう日本のプロレスは終わりだと思われたが、力道山はちゃんと後継者を育てていた。言わずと知れたジャイアント馬場とアントニオ猪木である。だが、この二人ほど対照的で、確執があった両雄も珍しい。

同期入門だった二人

一般的には馬場はエリート、猪木は叩き上げだと思われている。だが実態は違うようだ。

馬場は猪木より5歳年上だが、入門したのは一緒である。力道山がブラジル遠征したとき、たまたま一家でブラジル移民していた猪木を見つけた。その頃、猪木は陸上競技をしていたが力道山は猪木の体格の良さに惚れ込み、強引に口説いて日本プロレスに入団させた。60年のことである。

一方の馬場は、プロ野球の読売ジャイアンツに所属していたことはよく知られている。だが、一軍に定着できずにクビになり、大洋ホエールズにテスト生として拾われるものの風呂場で転倒し大怪我をして野球は断念する。夢破れ、大きな体を持て余していた馬場は、この体を活かすにはプロレスしかないと日本プロレスの門を叩いた。だが、この時の力道山はブラジル遠征中だった。

力道山が猪木を連れて帰国すると、馬場は改めて力道山に入門を乞うた。力道山は了承し、馬場の入門が許された。馬場22歳、猪木17歳の頃である。馬場は自ら入門を志願し、猪木はスカウトされたのだから、馬場が叩き上げ、猪木はエリートとも言える。

二人の立場が逆転

だが、プロ野球出身の馬場は、新人としては異例の優遇を受けた。普通、新人は先輩レスラーの付き人となり、当然のことながら給料など出ないが、馬場に限り自宅アパートからの「通勤」が認められ、給料も支払われたのである。

一方の猪木は力道山の付き人となり、徹底的にシゴかれた。時にはイジメではないか、と思うこともあった。力道山を刺し殺してやろうと思ったこともある。誰だってワンマンである力道山の付き人なんてやりたくなかっただろう。

同じ日に二人のデビュー戦が行われた。馬場は田中米太郎に勝ち、猪木は大木金太郎に敗れた。田中はもはや出世を諦めたレスラーで、馬場は勝って当たり前。大木は馬場より年長で伸び盛りのセメントファイター、17歳の猪木が勝てる相手ではなかった。力道山がデビュー戦で馬場に勝たせ、猪木に負けさせるように仕組んだのはミエミエである。

この日から、延々と続く馬場と猪木の40年戦争が始まったと言っていい。その半年後、馬場×猪木戦が行われ馬場が快勝した。それを皮切りに馬場と猪木は計16度も戦っているが、馬場の16戦全勝。馬場と猪木は前座時代しか戦っていないのだから、馬場×猪木の生涯戦績は馬場の16勝0敗ということになる。

以来、猪木は馬場にライバル心を持つようになった。23歳は大人、18歳は子供の体で、しかも馬場はプロ野球の厳しい練習を経験している。だからこの結果は当たり前で、猪木が悔しがる必要はないのだが、この時の屈辱が猪木のパワーの源となった。

だが、私生活での二人は仲が良かった。馬場は給料をもらっていたとはいえ家賃の支払いがあり、貧乏なのは猪木と同じ。二人で金を出し合って、1杯のラーメンを二人で分け合ったこともある。社会経験の乏しい猪木は、馬場を兄貴分として慕っていた。

二人の運命を変えた力道山の死

出世街道に乗った馬場は、異例の早さでアメリカ遠征。アメリカ遠征できるのはスター候補生である。馬場はアメリカで一躍スターになり、力道山の後継者としての地位は約束された。

一方の猪木は、力道山にイジメられる毎日。だが、力道山は心の奥底では猪木を可愛がっていた。馬場に対するライバル心を巧く利用していたのである。

しかし63年暮れ、暴漢に刺された力道山が死亡。アメリカ遠征していた馬場は次期エース候補として急遽帰国し、入れ替わりに猪木がアメリカ遠征することになった。

袂を分かつ二人

新生・日本プロレスのエースは豊登道春となった。だが、豊登にはスター性がない。しかもギャンブル狂の豊登は会社の金を使い込み、日本プロレスを追放される。その頃、馬場は力道山ゆかりのインターナショナル王座に就き、完全に日本プロレスのエースとなった。

しかし豊登は新団体設立を企み、エース候補として猪木に白羽の矢を立てた。アメリカ遠征から帰国途中のハワイで猪木を説得し、新団体の東京プロレスへ引き抜いたのである。この時の口説き文句は、

「このまま日本プロレスにいても、ずっと馬場の下だぞ。新団体のエースとして馬場と勝負しないか」

というものだった。これがいわゆる「太平洋上猪木略奪事件」である。

馬場にライバル意識を燃やす猪木はこれを了承。本格的な馬場×猪木の競争時代が始まったのだ。

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