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沖縄高校野球苦難の歴史!米軍占領下から這い上がった過程

野球王国・沖縄

2010年、高校野球で沖縄県の興南が春夏連覇を達成した。大正時代から始まる長い高校野球の歴史で春夏連覇を達成したのが僅か7校だから、興南の偉業ぶりが伺い知れる。沖縄県勢はこの年の興南を含み、春3回、夏1回の優勝と、夏2回の準優勝があるのだから、今や押しも押されもせぬ野球王国と言っても過言ではない。

だが、沖縄は長い間、高校野球では弱小だった。それは、沖縄が歩んできた特殊な歴史事情と無縁ではない。

本土から約20年遅れで野球が伝わる

沖縄は江戸時代以前、琉球王国という中継貿易で繁栄した国だった。江戸時代に入り、薩摩藩(現・鹿児島県)から侵略されるも、完全支配されたわけではなかった。

江戸幕府が倒れ、明治政府は琉球王国の実効支配に着手する。1971年(明治4年)の廃藩置県により日本から藩は消滅したが、翌72年(明治5年)に琉球王国を琉球藩とした。琉球国王だった尚泰(しょうたい)が琉球藩主となったが、79年(明治12年)に尚泰を追放、琉球藩は沖縄県となって完全に日本の領土となったのである。

そんな沖縄に野球が伝わったのは、日清戦争が勃発する94年(明治27年)のことだった。本土から約20年も遅れていたのである。

戦前、甲子園出場がなかった沖縄

1915年(大正4年)に全国中等野球、即ち現在の夏の高校野球がスタートし、24年(大正13年)に春のセンバツが始まったが、戦前に沖縄の学校が全国大会に出場したことはなかった。ちなみに戦前は、日本が実効支配していた朝鮮、台湾、満州の地区からは毎年のように代表校を甲子園に送り込んでいたが、なぜか沖縄県の学校は甲子園出場しなかったのである。

当時は現在のように一県一代表ではなく、沖縄大会で優勝しても九州の学校に勝たなければ甲子園に出場できなかった。だが、当時の沖縄はレベルが低く、九州の強豪校には敵わなかったのだ。

米軍に占領された戦後

やがて41年(昭和16年)に太平洋戦争が勃発、沖縄は日本で唯一戦場となり、文字通りの焼け野原になってしまった。日本は敗れ、やがて主権を回復するも、沖縄はアメリカの統治下に置かれたままだった。

中等野球は無条件降伏の翌年の46年(昭和21年)に再開したが、米軍占領下の沖縄では大会が行われなかった。しかし高校野球連盟副会長の佐伯達郎が尽力し、56年(昭和31年)には沖縄高校野球連盟が設立された。だが、当時は沖縄大会で優勝しても、東九州大会で優勝しなければならず、ここでも本土の壁は厚かった。技術もさることながら、当時の沖縄の選手は平均身長が162cm程度と、本土の高校生に比べてかなり劣っていた。栄養不足だったのである。

海に消えた甲子園の土

58年(昭和33年)夏、首里が沖縄勢として初めて甲子園の土を踏んだ。この年は40回記念大会ということで、一県一代表となったからである。だがこの時点で沖縄“県”は存在していない。沖縄はまだ米軍占領下だったからだ。首里の選手達はパスポート持参で甲子園に乗り込んだ。

甲子園の大観衆から万雷の拍手を受けた首里は初戦で敦賀(福井)に0-3で敗れたが、選手達は満足だった。だが、占領下という事情が選手達を不幸のどん底に陥れた。

選手達が持ち帰った甲子園の土が植物検疫法に引っ掛かり、汗と涙が混じった甲子園の土は無情にも沖縄の海に捨てられたのである。沖縄の悲劇は甲子園に出場してもなお消えなかったのだ。気の毒に思った日本航空の客室乗務員の女性が、首里に甲子園の小石を贈り、現在も首里の校庭に「友愛の碑」として小石が飾られている。

日本復帰と悲願の甲子園制覇

68年(昭和43年)夏には興南がベスト4入りし、沖縄の人々を熱狂させる。沖縄の野球が本土に通用することを証明し、なおかつ沖縄の日本復帰の前祝いとなった。そして72年(昭和47年)、沖縄は遂に念願の日本復帰を果たす。

70年代に甲子園で大暴れしたのが豊見城だ。栽弘義監督率いる豊見城は春夏計4回もベスト8入りを果たし、この頃になると甲子園ファンも沖縄の高校に「同情の拍手」を贈ることはなくなった。

その後、栽監督は沖縄水産に移り、90、91年(平成2、3年)夏に2年連続準優勝に輝く。沖縄初の甲子園制覇はもう目の前に来ていた。

そして99年(平成11年)春、遂にその時がやって来た。沖縄尚学が沖縄勢として初めて甲子園で優勝したのである。「甲子園優勝が先か、沖縄選出の総理大臣が先か」という沖縄県民最大の関心事に、沖縄尚学の選手達が答えを出したのだ。沖縄尚学は2008年(平成20年)春にもセンバツ制覇を成し遂げている。

そして冒頭でも示したように、10年(平成22年)の興南による春夏連覇。本土から切り離され、日本で唯一戦場になって米軍に占領されたウチナー(沖縄)が、ヤマトゥ(本土)を凌ぐ野球王国にのし上がったのだ。

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