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阪急の本拠地だった西宮球場。阪神の甲子園に対抗した歴史

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2013.09.16

阪急はプロ球団の老舗だった

かつて、阪急ブレーブス(現在のオリックス・バファローズ)の本拠地だった阪急西宮球場。関西で生まれ育った筆者にとって、関西で唯一行ったことがない球場である。

ところで、日本最初のプロ野球チームはどこかご存知だろうか。答えは読売ジャイアンツではなく、1920年(大正9年)に東京・芝浦で誕生した「日本運動協会」である。だが1923年(大正12年)に発生した関東大震災の影響で日本運動協会は解散した。

しかし、日本運動協会に救いの手を差し伸べたのが関西の大手私鉄である阪神急行電鉄、即ち現在の阪急電鉄だ。1924年(大正13年)、関西に移転して「宝塚運動協会」に生まれ変わった。つまり、阪急は読売や阪神よりも先にプロ球団を保持していたのである。

だが、宝塚運動協会には対戦相手のプロ球団がなかったため、5年後の1929年(昭和4年)に解散した。それでも、阪急の社長だった小林一三は日本にもプロ野球時代が到来すると予見し、「電鉄リーグ」という構想を持っていた。私鉄各社が協力してプロ野球リーグを創設すれば、入場料と運賃収入で発展が期待できるのではないか、と考えたのである。

阪急に対する読売の思惑

しかし、一歩先んじたのは読売だった。1934年(昭和9年)、読売新聞社が企画した日米野球は大盛況、同社社長の正力松太郎により、全日本チームを母体とした大日本東京野球倶楽部を結成。即ち現在の巨人軍である。

正力は阪神電気鉄道にプロ野球参入を口説いていた。阪神は甲子園球場という日本一の球場を持っていたし、東京の読売に対し、大阪のライバル球団としては申し分ない。

さらに正力にはもう一つの計算があった。阪神が参入すれば、ライバルの阪急は必ず動くだろうという読みである。案の定、阪神が読売の誘いに乗ってプロ球団を創立すると、それを知ったアメリカ滞在中の小林は阪急本社にプロ球団設立を指示、1936年(昭和11年)に大阪阪急野球協会を設立して読売主導のプロ野球リーグに参加した。

元々、プロ野球チーム発足に積極的だったのは阪神よりも阪急である。だが最初に読売が阪急に声をかけていたら、プロ野球は読売と阪急の共同による運営となっていたかも知れない。

正力はそこを見越して小林の渡米中に阪神を誘い、読売主導のリーグを設立したのだ。いわば、阪急を出し抜いたわけである。もし読売と阪急が共同でプロ野球リーグを運営していたら、現在のプロ野球の形はもっと違っていたのではないか。

阪急×阪神こそが真のライバル

プロ野球リーグが始まった頃、阪急とタイガースのライバルは巨人ではなく、お互い同士だった。「タイガース(あるいは阪急)だけには負けるな!」それが両チームの合言葉だった。なぜなら、阪急と阪神はお互いに大阪―神戸間を走る電鉄会社のライバルだったからだ。

さらに小林は、甲子園に負けない球場を造るように命じた。それが西宮球場である。西宮球場はシカゴのリグレー・フィールドがモデルで、1937年(昭和12年)に完成した。

日本初の二層式スタンドに全面天然芝という、まさしくメジャー仕様。収容人員数は5万5千人を数えた。中都市でしかない西宮に、甲子園球場と西宮球場という二つの巨大スタジアムが誕生したのである。

戦後になり、阪急と阪神に明暗が分かれる

戦後の1950年(昭和25年)、阪神はセントラル・リーグ、阪急はパシフィック・リーグに分かれた。巨人との対戦がある阪神に比べ、阪急はライバルの阪神戦も失い、ジリ貧に陥った。甲子園で阪神×巨人戦が5万人の大観衆を集めていた頃、すぐ近くの西宮球場では閑古鳥が鳴いていたのである。

それでも、古いイメージの甲子園に比べて西宮球場はモダンな球場であり続けた。1978年(昭和53年)には日本で2番目の人工芝敷設(当時は外野のみ)。1982年(昭和57年)にも日本で2番目のカラービジョンを設置した。

これだけ設備投資したにもかかわらず、客は集まらずに阪急ブレーブスは遂に1988年(昭和63年)、オリエント・リース(現・オリックス)に身売り、主を失った西宮球場は2002年(平成14年)に閉鎖された。西宮球場跡は現在「阪急西宮ガーデンズ」という大型商業施設になっている。

ライバル同士だった阪急と阪神が一つの傘下に

プロ野球界におけるライバルではなくなった阪急と阪神だったが、鉄道会社としては相変わらずライバル同士だった。ところが、思わぬところから手を結ぶことになる。

2005年(平成17年)に村上ファンドが阪神電鉄株を大量に取得、タイガースが乗っ取られるのではないか?と言われた。そこで阪神が救いを求めた相手はライバルの阪急。翌年に「阪急阪神ホールディングス」が成立し、ライバル同士だった阪急と阪神が同じグループとなったのだ。昨日の敵は今日の友、といったところだろうか。

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