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ネクタイピンって何-ネクタイ今昔物語

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2014.06.18

クールビズが終わり、衣替えの季節がやってきた。ネクタイを締めて、ネクタイピンできちっと留めて、会社へ通う毎日の始まりだ。

ある日のことだ。後輩から「ネクタイって意味あるんですかね」という質問を受けた。理由を尋ねると、「体に布をぶら下げているだけで、首は窮屈だし、意味が分からない。古臭いし、ポロシャツやTシャツの方が、よっぽど機能的じゃないですか。こんな決まり事無意味ですよ」と答えた。

つまり、この後輩にとってネクタイとは、旧時代的で意味のない上機能的でない不要なものを、誰かに強制されてしている、と言う認識なのだ。

嫌で嫌でしょうがないのだろう。ネクタイピンに至っては所持したことすらないという。ネクタイにバリエーションもなく、入社祝いに買ってもらった2本を日替わりで使い回しているとのことだ。

嘆かわしい事ではないか、これは。ネクタイに対する世間の認識はここ数年、取り分けクールビズという言葉が生まれてからというもの、大雑把になってきている。意義も歴史も風化しているのだ。する意味が無いという風潮すらある。

ネクタイをする意味はどこにあるだろうか。元来、和服には当然用いられてなかったし、幕末の夜が明けた近代までネクタイと言うものは、少なくとも日本人のスタンダードとしては存在していなかった。

それがかくも広く普及せしめたのは、海外の水準としてわかり易く存在していたものに、日本が合わせていったからに他ならない。

ネクタイの機能性は何か。首元を守るという意味はあっただろうが、堅牢な防御力は感じない。布を結んだだけのものだから、当たり前と言えば当たり前だ。防寒と言う向きもあるだろうが、それならマフラーの方がよっぽど暖かいだろう。

後輩の言うように、首元を窮屈にさせてもいる。少なくとも現代的な意味としては、ネクタイの機能性というものは皆無だろう。

ではなにがあるのかといえば、一つは装飾性であろう。ネクタイを合わせることで、シャツとジャケットとの色合いを調整し、体の真ん中にアクセントをつける事で、パリッとした清潔さ清廉さを演出する。

柄によって、フォーマルな場面から、カジュアルなイベントまで、ネクタイを取り換えるだけで対応可能とも言えるだろう。 毎日同じネクタイをすればいいというものではない。なんせ身体の真ん中にあるのだ。自分が思うよりも、他人は貴方のネクタイを見ている。

また、ネクタイピンはそれらの装飾性を助ける働きがある。落し物を拾うなど、体を屈めた時に、ブラーンと下に垂れるのを防ぐのだ。あまり意識していない若者が多く驚いたのだが、このだらりと下がったネクタイほど不格好なものはない。意識して対応してほしい所だ。

もう一つ、ネクタイが持つ意義は証明性である。長きにわたり、グローバルスタンダードな正装としてネクタイを締めることは認められてきた。そして、それに代わるものは、存在していないと言えるだろう。

つまり、一種の社会の通行手形、社会人のパスポートという見方も十分できるのだ。自分が社会に存在している、存在し活動している事の身分証明である。だからこそ、お座なりで付ければ人間性を疑われるし、きちんと着用すれば印象もよくなるのだ。

ネクタイを持ってフォーマルとする認識が、深く時間をかけ根付いている以上、この証明性は揺るがないだろう。それだけ重要な意味を持っていることを改めて考えてもらいたい。

まぁ、結局、何が言いたいかと言うと、私はネクタイが好きなだけなのだ。だからこそ軽んじられる向きには腹立たしく思ってしまう。自分を飾り、証明するものだという認識を持って、今日も首元にしっかり締めて欲しい。

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