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“浪花の春団治”川藤幸三!実はとてつもないアスリートだった!?

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2013.07.15

通算211安打の“名選手”

「カワトウを出さんかい!」
「代打、川藤!」
「ホンマに出してどないすんねん」

かつて、桂ざこばが出演していたビールのCMを覚えている人も多いだろう。川藤とはもちろん、元・阪神タイガースの川藤幸三のこと。居酒屋でビールを呑んでいる川藤ファンのオッサンを、桂ざこばが好演していた。なんとも屈折したファンである。しかし、阪神ファンのオッサンは本当にざこばのような感じだったのだ。

阪神がチャンスを迎えると
「ここは代打・川藤やろ」
で、本当に川藤が出てくると
「おいおい、ホンマに川藤でええんかいな」
結局は打ち取られ
「そんなもん、打てるわけないわな」
でも、たまに逆転打でも打とうものなら
「ウソやろ?ホンマに打ちよったで!夢みたいやな」

川藤とは、そんな歪んだ期待のかけられ方をした選手だった。プロ生活19年、打ったヒットは211本で本塁打は16本。ちなみに、現・阪神のマット・マートンは来日1年目に214安打・17本塁打を放った。つまりマートンは、川藤の19年分以上のヒットとホームランを、僅か1年で打ってしまったのである。

だが、だからといって川藤が大した選手ではなかった、というわけではない。むしろ、通算211本しか打てなかったのに、19年間もプロ生活を続けた、というところに川藤の凄さがあるのだ。しかも川藤の場合、守備の人ではなく代打専門である。打てない代打屋はすぐにクビを切られる運命にある。いや実際、川藤には何度も引退の危機があった。

前代未聞の申し出により“タイガース愛”を貫く

1983年(昭和58年)、川藤は阪神球団から引退勧告を受けたが、「給料なんていらんさかい、阪神に置いといてください」と川藤は懇願し、年俸60%ダウン(推定)という前代未聞の大幅給料カットにより阪神に残留した。当時の規定では年俸の25%以上は下げてはならなかったが、本人の同意の上だったために特別に認められたのである。

この「どアホウ」な生き方がファンから喝采を浴び「浪花の春団治」と呼ばれるようになった。まあ、桂春団治は元々上方落語家なのだから、わざわざ「浪花の」と形容詞を付けるのはおかしいのだが。しかも川藤は福井県出身である。

いずれにしても、このエピソードにより一介の代打屋でしかなかった川藤は有名人になり、阪神ファンのみならず野球ファンから愛される存在になった。

数々の伝説を残した仰天エピソード

かくして人気者になった川藤だが、ファンの間で有名になったのはむしろ野球以外のことばかりである。以下がそのエピソードの一部だ。

●球界一の大食漢として知られ、ステーキを3kg以上も食べただの、相撲取りとの大食い対決に勝っただの、数々の逸話を持つ
●将棋の腕前はピカイチで、ランディ・バースに将棋を教え、他の日本人選手に勝てるように仕込んだ
●ついでにバースには麻雀まで教えた
●高級ブランデー「カミユ・エックスオー(CAMUS XO)」を「カマスのペケマル」と読んだ
●辛子明太子を「さちこめんたいこ」と読んだ

川藤は真のアスリートだった!

そんな川藤にも、遂に人生最高の晴れ舞台がやってきた。プロ19年目の1986年(昭和61年)、開幕から絶好調だった川藤は、オールスター戦に監督推薦として初出場を果たしたのである。

オールスター第2戦、代打として大阪球場の打席に立った川藤は、左中間を破る見事なヒットを放った。ところが、普通の選手なら悠々二塁打なのに、足があまりにも遅く、川藤は二塁で楽々タッチアウト。しかし、両手を広げて「こりゃダメだ」のポーズをした川藤に浪花のファンはヤンヤヤンヤの大拍手。アウトになっても絵になる、川藤はそんな選手だった。

そんな川藤に、さらに信じられないエピソードがある。なんと川藤は、盗塁王になったことがあるのだ。あのオールスターの鈍足ぶりで盗塁王!?とにわかに信じがたいだろうが、紛れもない事実である。と言っても二軍のウエスタン・リーグでのことだが、それでも盗塁王には変わりがない。

実は川藤は入団当初、100mを11秒台で走る、チームで1、2位を争う俊足だったのだ。打撃練習よりも走塁や守備練習の方に力を入れていたぐらいである。しかし後年、アキレス腱断裂したためにレギュラー獲りは諦め、代打屋として活路を見出すようになった。

もし、この大ケガがなければ攻走守三拍子揃ったレギュラーとして定着したかも知れない。だが同時に、強烈な個性を持った代打男・川藤は誕生しなかったかも知れないのだ。少なくとも「浪花の春団治」と呼ばれることはなかっただろう。人生、何が幸いするかわからない。しかも、走ることは諦めたために、好きなメシを好きなだけ腹いっぱい食えるようになった、とも言える。

まだまだ“川藤トリビア”はいっぱい

現在は野球解説者となっている川藤だが、元プロ野球選手とて就職難のテレビ業界で、通算211安打の川藤が地上波全国ネットの解説者になっているのが凄い。いかに川藤がファンから愛されているかがわかるだろう。

しかもその解説は「気合でやらなアカンのです!」と、まるでアニマル浜口のように、とても解説とは言えないような解説で茶の間を楽しませてくれる。その解説の面白さは「西の川藤、西の福本(豊)」と呼ばれるほどだ。……って、どっちも西やんか。

さらに、川藤に関するトリビアといえば、兄(川藤龍之輔)が阪神のライバル球団である読売ジャイアンツの投手だったこと。しかし残念ながら、川藤兄弟の対決は実現しなかった。

そして、もう一つのトリビアは、「川藤幸三」というのは本名ではない、ということである。「川藤」というのは旧姓で、1976年(昭和51年)に母親方の姓を名乗り本名は「武田幸三」となったが、登録名は「川藤幸三」であり続けた。

さらに現在の本名は、引退後に義父(妻の父)の姓を受け継いで「開田幸三」となっている。これは義父が経営していた建設会社「開田建設」を引き継ぐためで、川藤が同社社長に就任した。でも、川藤はやはり「カワトウ」であり、社名は「開田建設」でもいいのだが、本名はやはり「川藤幸三」であってほしい、というのはファンの勝手な願いだろうか。

川藤は阪神のコーチも経験したが、そのうちに阪神の監督に就任し、やがては阪神球団を開田建設が買収して、川藤が監督兼オーナーになることを多くのトラキチが望んでいる……、かな?

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