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メジャーリーグから背番号42が消える!?人種差別と闘った男

メジャー最後の「背番号42」

2014年、メジャーリーグ(MLB)から背番号42の選手が消える。現在のMLBで背番号42を着けているのは、MLBを代表するクローザーであるマリアノ・リベラただ1人。そのリベラが2013年3月に同年限りで引退を表明しているため、2014年からは背番号42の選手がいなくなるのだ。

今後、規約が変わらない限りMLBに背番号42の選手は現れない。なぜか?往年の名選手、ジャッキー・ロビンソンの偉業を称え、その背番号42を1997年に全球団永久欠番としたからだ(その時に背番号42を着けていた選手を除く)。では、ジャッキー・ロビンソンとはどんな選手だったのか。

白人だけの世界だったかつてのMLB

ジャッキー・ロビンソンは「黒人初のメジャーリーガー」として知られる。実は19世紀には黒人メジャーリーガーはいたのだが、現在と同じ二大リーグ(ナショナル・リーグとアメリカン・リーグ)となった1900年以降ではロビンソンが初のメジャーリーガーである。しかし、二大リーグ体制以降は半世紀近くも白人のみの世界だった。アメリカでは人種差別がずっと続いていたのである。

MLBとは別に、黒人を中心としたニグロリーグというものがあった。そのレベルは恐ろしく高く、伝説の剛球投手であるサチェル・ペイジ、「黒いベーブ・ルース」と呼ばれたジョシュ・ギブソンなど、メジャーリーガー以上と謳われた選手が大勢いた。

このニグロリーグに食指を伸ばす者がいた。MLBブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼルス・ドジャース)の会長だったブランチ・リッキーである。当時、ニューヨークには黒人人口が増えつつあり、彼らを取り込めば大きな商売になる、と。そのためには優秀な黒人選手が必要だった。

しかし、リッキーはペイジやギブソンを獲得しようとは思わなかった。白羽の矢が立ったのは無名の若者、ジャッキー・ロビンソンだったのである。

君は仕返しをしない勇気があるか?

リッキーはロビンソンと面談した。第二次世界大戦が終結した1945年のことである。

「君はどんな事態になろうと、プレーする勇気があるか?」とリッキーは訊いた。

リッキーの言う「事態」とは、白人の中に1人だけ黒人が混じれば、想像を絶するような差別的暴言を浴びせられたり、暴力的プレーを受けたりする、という意味である。

「仕返しができないような臆病な黒人選手をお探しですか?」ロビンソンが訊き返した。
「私は仕返しをしない勇気を持った黒人選手を探しているのだ」リッキーは答えた。

リッキーが求めていたのは「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出す」黒人選手だったのである。その条件に叶うのは、ニグロリーグのスター選手ではない。ロビンソンのような純粋な選手だった。リッキーの「偉大な実験」が始まったのだ。

最初は敵だったチームメイト

ロビンソンは1年間マイナーでプレーしたあと、47年にメジャー昇格。しかし、チームメイトには「黒人追放」の動きを見せた選手達がいた。しかしリッキーは「黒人のチームメイトを歓迎しない者はクビだ」と言い放った。

ロビンソンは「シカト」され続けた。だがある日、チームメイトから初めてポーカーに誘われた。喜ぶロビンソン。だが負けが込んできた選手は「俺は賭けで負けると黒人女を抱きに行ったものさ」と悪態をついた。それでもロビンソンは我慢してポーカーを続行した。

試合が始まると、今度は敵チームや白人ファンのヤジだ。「ジャングルへ帰れ、ニガー!」人間扱いされていないのだ。聞くに堪えないヤジに、ロビンソンはもはや限界だった。左の頬を差し出す代わりに、右の拳を繰り出してやる!そう思った瞬間だった。

「このチキンめ!俺たちが言い返せるヤツをヤジれ!」チームメイトが助け舟を出したのだ。チームメイトはみんな、差別に耐えながら懸命にプレーしているロビンソンを認めたのである。

ある試合では、ファーストを守るロビンソンの足をわざと踏んだ選手がいた。うずくまるロビンソンの元にベンチから全員が駆け寄ってきた。さらに敵チームに「俺たちのジャッキーを傷つけたら承知しないぞ!」と激しく抗議した。最も怒りを顕にしたのは、ポーカーでロビンソンに酷い言葉を浴びせかけた選手だった。

「偉大なる実験」の終焉

この年、ロビンソンは打率.297、29盗塁と活躍、ドジャースの優勝に貢献し、見事新人王に輝いた。この後、MLBの各球団はドジャースに倣えとこぞって黒人選手を採用した。あのサチェル・ペイジもMLB入りしたのである。その影で、有力選手を失ったニグロリーグは消滅の運命を辿った。

結果、MLBは白人のみの世界から、人種の坩堝と化した。現在では大勢の日本人選手がMLBで活躍しているが、ジャッキー・ロビンソンの存在がなければどうなったかわからない。ブランチ・リッキーの「偉大なる実験」は大成功を収めたのだ。

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