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「巨人軍」だけなぜ「軍」が付く?ジャイアンツ誕生秘話

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2013.07.14

「球界の盟主」巨人軍

日本プロ野球で随一の人気を誇る、巨人軍こと読売ジャイアンツ。最近でこそテレビ地上波中継は少なくなったが、1990年代以前は巨人戦の毎試合がゴールデンタイムで全国ネット、しかも常に視聴率20%を叩き出すキラーコンテンツだった。

ところで、誰でも疑問に思うのが「なぜ読売ジャイアンツだけ“巨人軍”という別の名前があるのか」ということである。しかも「軍」なんていかめしい漢字が付いているのも巨人軍だけだ。

このことに関し、巨人ファンは「“球界の盟主”の象徴だ」と誇りに思うだろうし、アンチ巨人ファンは「“自分たちだけが特別なチーム”という思い上がりが見える」なんて感じるだろう。では、どういう経緯で「巨人軍」という名称が付いたのだろうか。

「巨人軍」の名付け親はアメリカ人!?

巨人軍の歴史は、戦前の1934年(昭和9年)まで遡る。当時、読売新聞社社長だった正力松太郎の「ベーブ・ルースを呼ぼう」という鶴の一声で、アメリカからベーブ・ルース擁するメジャーリーグ選抜チームを日本に招いた。

それまではメジャーリーグのチームが来日しても、東京六大学を中心とする学生チームが対戦するのが主だったが、1932年(昭和7年)に発令された野球統制令によって学生とプロとの試合が禁じられた。

そこで読売新聞社が中心となって学生以外の選手をかき集め、全日本軍を結成した。結果、全日本軍は全米軍に対し15戦全敗と全く歯が立たなかったが、この日米野球は全国で大盛況だった。

日米野球終了後、全日本軍を母体に「大日本東京野球倶楽部」を結成。これが現在まで続く読売ジャイアンツの元祖であり、現存する日本最古のプロ野球チームである。

翌1935年(昭和10年)、大日本東京野球倶楽部は腕を磨くためにアメリカへ遠征。主に現地のマイナーチームと対戦し、75勝33敗1分という好成績を残す。

大日本東京野球倶楽部は日系人の多い西海岸では人気を博したが、ネックとなったのは長すぎるチーム名だった。現地で大日本東京野球倶楽部の顧問をしていたフランク・オドゥールが、マネージャーの鈴木惣太郎に相談した。

「あの長ったらしいチーム名はアメリカ人には馴染まない。トーキョー・ジャイアンツならどうだろう」

オドゥールはニューヨーク・ジャイアンツに在籍したことがあり、東京もニューヨークと同じ大都会という点で思い付いたのかも知れないが、鈴木はオドゥール案を承諾し、日本にいる正力に電報で了解を求めた。正力からの返事は「アメリカにいる間は東京ジャイアンツと名乗ってもよい」というものだった。

実は渡米前、監督の三宅大輔は正力から「いつまでも大日本東京野球倶楽部というわけにはいかないから、アメリカ遠征中にいいチーム名を考えておいてくれ」と頼まれていた。三宅はアメリカ渡航中の船中で「東京金鵄軍」というチーム名を思い付いた。

「金鵄(きんし)」と言っても現代人にはピンと来ないが、初代天皇である神武天皇を助けた伝説の鳥である。そのため、旧日本軍では最高殊勲の軍人に対し「金鵄勲章」を授与していたのである。日本プロ野球の旗手としてはこれほどふさわしいチーム名もないだろう。

ところが、オドゥールが名付けた「東京ジャイアンツ」が株主総会で評判が良かった。「ジャイアンツ」を日本語にすれば「巨人軍」、「東京巨人軍」ならいい感じではないかと、遂に正式名称として決定した。

もしオドゥールが「東京ジャイアンツ」を提案していなければ、三宅案の「東京金鵄軍」となっていたかも知れない。だが、そうなれば戦後、GHQに「軍国主義が強すぎる」とチーム名を変えられていただろう。第一「金鵄」に該当する英語がない。

ともあれ、アメリカ人が「巨人軍」の名付け親になったわけだが、オドゥールはこの「トーキョー・ジャイアンツ」がいたくお気に入りで「日本のジャイアンツは俺が名付けたんだ」というのが自慢だったという。

日本プロ野球が開始。他のチーム名は?

日本に帰って来た大日本東京野球倶楽部は、正式に「東京巨人軍」となった。巨人軍のアメリカ遠征中、正力はプロ球団を経営できる資本家探しに東奔西走していた。

巨人軍の結成前、日本には「日本運動協会(後の宝塚運動協会)」や「天勝野球団」というプロ球団が存在したが、対戦チームがなかったため長続きしなかった。プロ野球を根付かせるためには対戦相手が必要である。そして1936年(昭和11年)、日本職業野球連盟が設立。参加したのは以下の7チームである。

東京巨人軍
大阪タイガース
名古屋軍
東京セネタース
阪急軍
大東京軍
名古屋金鯱軍

なんのことはない、タイガースとセネタース以外は全て「軍」が付いている。当時の世相を反映して「軍」が付くのが普通だったのだ。

さらに、翌1937年(昭和12年)には盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まり、ますます軍事色が強まる中で、アメリカとの関係も悪化する一方となる。

敵性語(英語)追放の機運が強まった1940年(昭和15年)には、大阪タイガースは阪神軍、東京セネタースは翼軍と改名し、翌1941年(昭和16年)、即ち太平洋戦争が勃発した年には巨人のユニフォームも「GIANTS」のロゴが消え、「巨」という漢字1文字になった。

戦後になって各球団がニックネームを採用

太平洋戦争が激化した1945年(昭和20年)にプロ野球は中断したものの、終戦後の1946年(昭和21年)にはプロ野球リーグが再開、日本に再び球音が響き渡った。

そして1947年(昭和22年)にはアメリカ風に全球団のチーム名を「○○△△ズ」というようなニックネームにするようになる。

阪神軍は大阪タイガースに戻り(現在の阪神タイガース)、名古屋軍は幾つかの変遷を経て中日ドラゴンズに、阪急軍は阪急ブレーブス(現在のオリックス・バファローズ)、大東京軍も何度かチーム名は変更したが太陽ロビンス(後に大洋ホエールズと合併、現在は横浜DeNAベイスターズ)となり、名古屋金鯱軍と東京セネタースは既に消滅していた。

もちろん新規参入球団も「○○△△ズ」となったのは言うまでもない。

そんな中、東京巨人軍も当然のことながらニックネームを採用したが、戦前からユニフォームには「GIANTS」と書かれていたのだから、どうということはなくジャイアンツですんなり収まった。

ただ、この年から読売新聞社が経営に当たることになり、チーム名も「読売ジャイアンツ」となったが、球団名は東京読売巨人軍と「巨人軍」の名称はそのまま残った。ちなみに現在の球団名は「読売巨人軍」である。

つまり、元々アメリカで使っていたGIANT(巨人)というニックネーム(愛称)があって、その複数形でS(軍)が付いたので、読売ジャイアンツというチーム名になってもそのまま「巨人軍」という名称が残ったと思われる。

他のチームの「軍」は愛称に付けられたものではなく、例えば名古屋軍や大東京軍のような地名に「軍」を付けるのは戦後にはそぐわないし、阪急軍や阪神軍などの会社名に「軍」を付けるのもおかしい。愛称だったからこそ「巨人軍」が生き残ったとも言える。

例えば阪神が最初から「大阪猛虎軍」というチーム名だったとしたら、阪神タイガースとなった現在でも「猛虎軍」と呼ばれていたかも知れない。

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