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感情だけで判断するとなぜ大局を見失いやすいのか?

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2014.03.27

嫌いな人間の失脚やゴシップを喜んでいませんか?

仕事でもゴシップ記事にしても、自分が嫌いな人間が失脚をするのを見ると、ついついザマーミロという気分になる人が多いのではないでしょうか?

誰しも感情というものがありますので、そう思ったとしても特に不自然という訳ではないでしょう。

新聞を読んだりテレビのニュースなどを見ていると、心が温まる記事ばかりではありません。というか、その逆の場合が多いようです。

昔、誰かに聞いたことがあるのですが、どこかの地域で心が温かくなるような記事だけの新聞を発行した所があったそうです。

しかし、まったく発行部数が伸びず、すぐに廃刊になったとのこと・・・ 私だけかもしれませんが、確かに新聞を読んだりテレビなどを見ていて特に大きなニュースが無いと、なんか今日の新聞やテレビのニュースは退屈だな~と思ったりしている自分に気づいたりします。

何も無いほうが平和で素晴らしいことなのですが、反面それを退屈だと思う自分の内にある黒い部分?なのでしょう。

または、感情が揺り動かされないことに対して、不満を感じているのかもしれません。怒りという感情は、人を退屈から救うとも言いますし・・・

感情に判断を任せてしまいますと・・・

怒り以外の感情であっても、感情に流されている場合には時間を忘れてしまいがちにもなります。

しかし、ついつい感情に身をまかせてしまいますと、様々な判断を間違ってしまうという場合も多々あります。1つの怒りで、相手の全てを否定したくなるという人もいるのではないでしょうか?

特に嫌いな人間がちょっとした失敗をしたりすると、鬼の首を獲ったように喜んで退陣を迫ってみたり、とにかく排除が正義であるかのように思ってみたり。

しかし、どんな人間であっても余程の例外を除いては、功罪の両方があるものです。

感情だけに流されて罪の部分だけしか考えられないと、取り上げられなかった功の部分がジワジワとあなたを苦しめてくるという結果にもなりかねません。

特にs組織の上に立つ人間というものは、感情的になっている時にこそ功罪の両方を冷静に考えられないと、先々にしまった~という結果になることも・・・

偉そうなことを言っていますが、電車通勤をしていた頃に私はよくゴシップ記事などの中吊り広告を見ていました。

感情的な興味を引くような見出しを見ては、ほうほう!という感じでしたが、人物批判にしても感情に訴えるものが多かったような気がします。

しかし、それはその人の側面であって全てではないのですが、その側面をあたかも全体像のように大袈裟に書かないと人の目を引かないので、雑誌が売れないという現実もあるのでしょう。しかし、同じような状況は普通の人の日常でもあったりします。

後から後悔するパターンを減らす方法とは?

会社でも、対象になる人を感情的に散々攻撃をして、その人を排除した後にその人がしてきた事の一部が誰にもマネできなくて困ったりとか。

そこでようやく、あの部分は悪かったけど、この部分は良かったと冷静に判断できたとしても後の祭りという訳です。

これは仕事だけではなく、特に男女関係にも当てはまる場合が多々あります。

つい感情に流されて別れてしまったが、別れた後に相手の大切さがわかって復縁を望んでみたり。しかし、覆水盆に返らず で後悔の日々を長く過ごさねばならなくなったとか・・・

後の後悔を、なるべく少なくする為にいい方法があります。

周りに、どうも気が合わないとか、どうもあの人の仕事のやり方や態度には賛成しかねるという人がいる場合には、ついつい悪い点ばかりに目がいって感情的になってしまうかもしれませんが、嫌いな人ほど功罪という複数の側面から見るようにしてみましょう。

意外とこの方法は、大局的な判断を誤らない為の割とすぐできる訓練になりますよ。

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