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「あなたの神様は何ですか?」海外で良く聞かれるこの質問に、あなたは?その二

交じり合った宗教

何故このような状況が起きるのか?これは大変な謎である。実は日本には沢山の神様や宗教がある。仏教はもちろんのこと、神教、そして原始宗教であるアミニズムが主となるが、何故かどれも現代まで生き残っている。それは日本の政治体制に関しても、同じで公家社会と武家社会が同時に進行している。

「八百万の神」これがアミニズムに近いものと思われるが、水の神、土の神、あらゆるとこに神が存在しているが、これを宗教と完全に意識している日本人はほとんどいないと思うが、昔から 水がもったいないということを言うにも、子供の頃「水の神様」のようなことを言われた事が記憶にある人も多いと思う。

そして神式だが、これもまた不思議である。神と言うと普通一神教となるのが普通であるが、実は神社のなかにも多種多様なものがあり、祠には八百万の神が祀ってあってりするところもある。そして仏教、神教は生活の中に溶け込み宗教と言うよりは、慣習や習慣の一部となっている。

何故、宗教が混ざり合うのか?

これは歴史的に考えても結構大きな謎ではないかと思う。普通 一つの宗教が台頭してくると、古いものは駆逐される。そして力の強いものが、宗教上でも生き残っている。この日本の混合は、イスラム教徒、キリスト教が同一人物の中に共存している状態と考えると異常な状態である。

もちろん無くなってしまったものも沢山あると思うが、少なくとも大きな流れを持つものは現在も生きている。混ざり合った理由としては、政治的な理由もある。例えば神仏習合や、お寺の檀家制を利用した戸籍の原型とも言える制度があったりと、神徒であってもお寺に帰属した例も歴史上ある。

しかし そうなると当然神社などは、廃れていくと考えられるが、何故か生き残っている。神社は、基本的に天皇制度と密接に絡み合っていることも面白いが、江戸時代においても天皇家は、将軍を任命する立場であり、それなりの権力・保護を受けている状態である。

普通、勢力図が変われば、旧勢力は滅亡しているが、武家社会に変わっても公家社会は社会の一部として今もなお続いている。こういった例は、世界を見ても類がない。

また それが天皇家の歴史の長さにも繋がっているのだが、また天皇を神とするなら、ローマ法王などがそれにあたるとも言えなくもないが、天皇自体が宗教の中心であるかと言うとそれは違うと日本人は答える。日本人は非常にユニークな存在であるのは間違いないと思う。

融和していく異質なもの

これら本来異質なものが、融和していると考えるのが最も的を得ているように思う。八百万の神、天皇家を中心とした神社と仏教。

もともと日本の神である八百万の神が、その一部の体系や伝説を神社系統が呑み込み、その伝説や伝承を自分たちの歴史として取り込む、もちろんそれは自分たちの都合のいいように書き換える為、過去の歴史は抹殺に近い状態となるが、伝承だけはそのまま生きていく。

書き換えても一本筋の通ったものにはなかなかならずに、伝承はあるときは昔のまま伝えられる。もしくは統治に置いて、一部の離れた地域では力が及ばずに新しい神に書き換えられずに、そのまま残ったりする内に、伝承が混ざり合い矛盾を許容しつつ同時に生き残ったのかもしれない。

つまり普通に普及している一神教の神とは違い、元々多様性を含んだ下地があるのかも知れない。時代は進み、色々なことがおきながらも、結局は最初混ざり合ったまま受け入れた素地は、他のものにも適用され、あいまいなまま生活に溶け込む。

ここまで考えると、一つの疑問が生まれる。確かに建物は、神社と寺に分かれているが、このそれぞれの行事などを同時にやる(信仰)していると、言うのは、もはやほとんど「八百万の神」の有様を呈している。

八百万の神と言うのは、元々自然を敬う、また恐れる土俗宗教である。日本書紀などに出てくるのは、融和の結果生まれた後付ではないかと思う。または、伝承をつなぎ合わせて、ある程度の整合性を取った結果であったかもしれない。

日本の現代人が無宗教であるというよりは、日本という文化的素地があいまいであると言ったほうが、本来正確であるように思える。

そして、その基礎はアミニズムが今も強く残っていて、どの神様も抵抗無く受け入れる素地、しかしそれは自分たちの習慣としてだが、もし 原始宗教であるアミニズムが基礎になるとすれば、なんにでも神様宿るし、神様は単一ではなく、自然も含めた自分たち生活に関わるもの全てである。

つまり神=習慣、生活と区別があまりなく、なんでも取り込むことの出来る余地があり、神を信じないというよりも、生活と神は常に一緒にいるのではないかと思う。これも原始宗教の特徴ではないかと思われる。

この考えは、確かに西洋的宗教観や、モスリム系とは違い彼らには、なかなか受け入れられないかもしれないが、過去と言う意味でいうと、中近東系の宗教とその他のアジア系宗教や原始宗教との素地の違いでもあるように思う。

独自と言う言い方をしてきたが、日本に近い宗教観というものが他に全く無い分けではない。今はほとんど無くなりつつある、アミニズム系の宗教、例えばアメリカインディアン(ネイティブアメリカン)などもそうであるが、自然を対象とし神様に見立てた宗教観は、実は世界のいたるところにある。

そのナチュラリスト的な宗教は、現在、ほとんどが西洋文明に呑み込まれてほんの一部しか残っていないが、基本おおらかで新しいものに対して許容範囲が広いのが特徴であると思うが、それでもこれ程、なんでも取り込んで行く日本と言う国はやはり特異な存在であるかもしれない。

しかしそう考えていくと、我々は本当にナチュラリストと言うべき宗教に属しているのかも知れない。少なくとも一神教ではなく、生活や習慣に溶け込んだ沢山の神様に囲まれている。

私は、とりあえずは「ナチュラリスト」と答えることにしているが、もしその後、日本の宗教について話す機会があれば、日本の神様は習慣の中に生きているので、日本人は意識していないと説明する事にしている。

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