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プロレス史上最大の事件「ハンセン乱入事件」。その背景に迫る!

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2014.04.15

「ブルーザー・ブロディとジミー・スヌーカが入場して参りました。おっと、誰でしょうか?その後ろにはウエスタン・ハットを被った大型の男がいますが……。あ、スタン・ハンセンだ!」
「ハンセンですよ!」
「スタン・ハンセンがセコンド!大ハプニングが起きました!」

 時は1981年(昭和56年)12月13日、所は今はなき東京・蔵前国技館。年末恒例の「世界最強タッグ決定リーグ戦」の最終戦、場内は騒然となった。数日前までは新日本プロレスに出場していたスタン・ハンセンが、全日本プロレスの試合に突如乱入したのである。

 ハンセンが全日本プロレスに登場したのは、まさしく大事件だったのだが、今のプロレスファンには何が「大ハプニング」なのか、わからないかも知れない。この「ハンセン乱入事件」がいかに驚天動地だったかを知るには、当時のプロレス事情を探る必要がある。

いがみ合う2団体

 現在のプロレス界はメジャー団体とインディー団体がひしめき、プロレス不況もあって各団体が協調路線を敷いている。ところが当時のプロレス界は全く様相が違っていた。

 この頃は今では考えられないほどのプロレスブームだったが、全日本プロレスと新日本プロレスの2団体しかなく、79年(昭和54年)に行われたオールスター戦以外は、両団体の交流はゼロに等しかった。ハッキリ言うといがみ合っていたのである。

 原因は、全日本プロレスのエース社長だったジャイアント馬場と、新日本プロレスのエース社長だったアントニオ猪木との確執である。馬場と猪木は共に日本プロレスの父・力道山の弟子で、力道山の死後は日本プロレスのWエースとして活躍した。

 その後、杜撰な経理だった日本プロレスを改革しようとしたが二人の足並みが揃わず、猪木がクーデターを企てたとして日本プロレスを永久追放、馬場も選手会長をクビになったのち、独立する。馬場・猪木の両エースを失った日本プロレスはあえなく崩壊、ここに馬場の全日本プロレスと、猪木の新日本プロレスが対立する時代に突入した。

 最初は有名外人レスラーが多い全日本プロレスが優勢だった。馬場はアメリカでもトップイベンターだったので、アメリカのプロモーターに顔が利いたのである。一方、有名外人ルートを持たない猪木は、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリらと異種格闘技戦を繰り広げて全日本プロレスに対抗した。

 スリリングな試合を続ける猪木のファイトは「過激なプロレス」と呼ばれ、次第にファンを取り込んでいった。さらに、馬場に対して対戦を要求。当時のプロレス界の掟から言って馬場×猪木戦など実現するはずはないのだが、猪木はそれを知っていながらしつこく馬場に対戦を迫った。当然、馬場は猪木の要求を無視するが、それがファンに「馬場は逃げた」と印象づけた。猪木人気の勢いは留まることを知らなかったのである。

遂に馬場がキレた!

 そしてこの81年、新日本プロレス人気は頂点に達した。猪木のライバルとしてハンセンが不動の人気を得たからである。新日本プロレスが唯一劣っていた外人でも全日本プロレスを上回り、両団体の差は大きく開いた。

 新日本プロレスは攻勢の手を緩めず、全日本プロレスの看板外人だったアブドーラ・ザ・ブッチャーの引き抜きに成功した。これはまさしく、全日本潰しの王手飛車取りになるはずだった。

 ところが、猪木には誤算があった。それまで沈黙を貫いていた馬場が、遂に怒ったのである。馬場の動きは素早く、新日本プロレスの悪役外人だったタイガー・ジェット・シンを抜き返す。実はこの頃、国際プロレスというもう一つの団体があったが、両団体による引き抜き合戦の板挟みに遭い、崩壊している。

 新日本プロレスはシンを引き抜かれても痛手は負っていなかった。シンはもうファンに飽きられており、シンの引き抜きで馬場の怒りが収まれば良かろう、程度に思っていたのである。

 だが馬場の怒りは、そんなものでは収まらなかった。真の狙いはハンセンだったのである。ハンセン引き抜きの土壌もあった。全日本プロレス常連のザ・ファンクスはハンセンの師匠であり、ブロディも大学時代の先輩でアメリカではタッグを組んだ仲だったのである。

 そして冒頭での蔵前国技館で、ハンセンは突如乱入した。もちろん、これは事前に打ち合わせたものだったが、関係者には箝口令が敷かれ、ファンやマスコミ、そして新日本プロレスも度肝を抜かれたのだ。死に体だった全日本プロレスが息を吹き返したのである。

 改めて馬場の底力を思い知った新日本プロレスは引き抜き防止協定を申し入れた。馬場はこれを了承したが、両団体の火花が収まることはなかった。

 今だから思えるのだが、両団体には緊張感があったからこそ、プロレスブームがあったようにも思う。ハンセン乱入事件は、それを象徴する出来事だったと言えよう。

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