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アニメの敵役って悪者!?漫画の敵役から学ぶ人生論と社会

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2014.03.16

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少し雑学的な話になってしまいますが、アニメや漫画の敵役は本当に悪者なのでしょうか?主人公という多勢に無勢からしてみれば敵ですが、少数派を悪者と仕立て上げるのはいかがなものかと思います。もちろん、アニメの捉え方は人それぞれでしょうが、敵役から社会のあり方を考えてみましょう。

アニメのキャラクターになるなら何がいい!?

よく友達同士の会話やクラスの会話として、こんな話が出たことはありませんでしょうか?最近になって色々なアニメや漫画を見てきて、筆者なりにもう一度冷静に考えてみました。

そして、私はですが、特にこれといってなりたいキャラクターはありませんが、もしアニメのキャラの一部になるとしたら、筆者は間違いなく悪役側につくのではないかなと思います。別に悪役が全て共感できるというわけではありませんが、不思議と近年のアニメの悪役には共感してしまう部分が多い気がします。

結局主人公サイドの言っていることは理想論であったり、そうあったらいいなとは思うけれど、実際は長らく人類が叶えられてきていない世界平和のあり方であったりと、悪役側の言っていることにもそれなりの筋が通っていたりします。

もちろん、漫画の世界のお話ですから、それでも主人公サイドが絶対に正しいのでしょうし、結局最後はハッピーエンドにたどり着きます。でも、これを社会に置き換えて考えられないかと思ったのが、そもそも今回のテーマです。

最近の少年漫画の敵役は悪者ではない!

昔のヒーローもののアニメといえば、悪役が圧倒的に理不尽で、悪者で、それを正義の味方が打ちのめしてハッピーエンドというのが主流でした。しかし、近年ではその悪役のあり方もだいぶ変わってきている気がします。

現代のアニメでは敵役にもしっかりとしたストーリーがあって、どうしてそのような考え方に至ったかが克明に記されていることが多いです。そして、悪役側にもそれなりの正しいと思うことがあって行動を起こしているのには変わりありません

たとえば、少年漫画の「NA○UTO」で考えてみましょう。敵役も主人公サイドも、同じ世界平和を目指そうとしていることには変わりないのです。そして、敵側はそれを人々に幻影を見させてその中で生きることで実現しようとしていますが、主人公サイドは個人も何もなくなった世界平和は真の平和ではないから、お互いに手を取りあってこそ、初めて真の世界平和が築けるとして戦っています。

アニメに冷静になるのもあれですが、それが可能であるならばもうとっくに世界紛争は終わっているはずです。現実の世界では、核の抑止力がなければ争いを止めることすらできないのが人間社会なのです。そう考えると、敵サイドのやろうとしていることも間違いではない気がしてきてしまうのですが・・。

主人公側という社会の常識!

アニメの世界では、主人公サイドの主張が絶対です。絶対的に主人公側の言っている事が正しく、どんなに理想や理念があったとしても悪役サイドの意見は虐げられ、間違っているとして攻撃や批判の対象とされます。

現代社会でもまったく変わらないのではないでしょうか?世間の一般常識や固定概念というものがあって、人間はその中でそれに従って生きないといけないのです。少しでも別の考えや意見を持っているものは社会から除外され、虐げられます。

アニメの世界でこれを例えるのはナンセンスかもしれませんが、現実の社会でもまったく同じことが言えるのではないかと思います。アニメの世界では主人公側が絶対正しいと思われるように、社会でも暗黙の了解や長いものにまかれて生きなければいけないのです。

少しでもそれに反発するマイノリティには、多勢に無勢でこっちが正しいんだと圧倒的な力で押しつぶそうとします。本当に主人公サイドが正しいと言えるでしょうか?本当に、社会のやっていることが正しいと言えるでしょうか?

アニメの悪役はヒーロー?

アニメの悪役は、同時に筆者のヒーローでもあるのです。もし、真のヒーローがいるとすれば、それは敵役サイドなのではないでしょうか。

主人公サイドという多勢に無勢で圧倒的な力で価値観をぶつけられて、間違っていると全否定されて、虐げられながらも、最後の最後まで自分の意志を曲げずに戦って最後の一人になっても、100人、1,000人に違うといわれても最後まで自分が正しいと思うことを貫き通す。

これを社会では、自己中心的や協調性がないというのかもしれませんが、自分の正しいと思うことができない社会はやはりおかしいです。そして、そんな世の中でも最後まで自分の信念を曲げずに自分が正しいと思うことを貫き通す悪役こそが、本来私たちにあるべき力なのではないでしょうか?

世間にあわせて簡単に考えを曲げて、無難な発言しかできない政治家や官僚、さらには長いものに巻かれてそれが正しいんだという社会の固定概念や一般常識にはうんざりさせられます。

現代社会と世の常識

児童のいじめ問題などが深刻化している現代ですが、やはりこうした社会では誰かがクラスでいじめを受けていても自分もいじめられたくないという気持ちで黙っていたり、中にはいじめられたくないから自分もいじめる側に回るという人間もいるでしょう。これこそが、現代の社会の固定概念から生み出されたものなのではないでしょうか?実際の話、大人の社会でもまったく変わらないと思います。

日本では特にこの長いものに巻かれろといった考え方や、右へならえの精神が強く、協調性という面ではとても誇れることなのかもしれませんが、少数派が虐げられて、より勢力があって強いものだけが好き勝手できるという社会にだけはなっていって欲しくないです。

アニメの話に戻りますが、本当に主人公サイドについている人間の全てが、主人公のしていることが正しいと思っているのでしょうか?ただ単に、大勢の意見に乗っかっているだけという人も多いのではないでしょうか?

この話から言いたいことは、もっと自分が正しいと思うことをするべきです。協調性も長いものに巻かれるのも時には大切ですが、無難に生きていれば、そのうち本当に自分が何をしたいのかわからなくなってしまいます。社会には理不尽なことや間違っていることもたくさんあります。それらに目を背けるべきではありません。

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