> 大人 > オヤジのロマン。ウィットに包まれた色気を求めて

オヤジのロマン。ウィットに包まれた色気を求めて

このエントリーをはてなブックマークに追加
2013.12.19

オヤジにロマンなど不似合いであると思っている人は、考え違いをしています。ロマンと言ったって、色恋のことだけではありません。人間関係に「夢」を抱き続けることがロマンであるとすれば、むしろオヤジにこそ、本物のロマンが宿っていると言えるかもしれません。

男はいつも恋している

オヤジの恋とは、札びらを見せつけて買うセックスのことだと理解する人は、ロマンなどとは無縁の人間だと言えます。オヤジとて恋はします。ピュアな恋だってあります。プラトニックに始まり、やがて肉体関係に及ぶ場合だとて、当然あるでしょう。

普通、男というものはいつでも恋をしています。誰かを恋しながら、10代、20代、30代、40代、50代……と生きてきました。その対象は当然、複数の女性です。同時に数人、恋しているのが普通です。健全な男性であれば、いつでも何人かの異性に恋を感じているものです。

恋と愛とは別のもの

青臭い定義の話になりますが、一応、簡略に定義しておきましょう。恋とは、「会いたい、見たい、自分のものにしたい」という感情であり、一種の所有欲です。

愛とは、「この人を幸せにしてあげたい」という感情であり、「運命に対する献身」への動機であります。恋と愛とは、このように区別のできるものでありますが、恋愛というのはそれが複雑にからみ合ったものなのです。

あの子が欲しいという感情

例えば、ストーカーなどの変質者の例では、恋は強いのでしょうが、愛はゼロに近いものですから、自分の欲を満たすためなら、相手の迷惑などお構いなしです。ひどいものになれば、相手を刺し殺してしまう馬鹿者もいます。

一目見て「好き」になるというのは、恋の始まりです。あの子が欲しい、という感情は恋です。この世に好きな人が1人もいないという男がいたら、オヤジに限らず寂しすぎる人でしょう。

自分を取り巻く異性たち

ごく普通の中年男性で言うと、とても好きでかつ愛している異性と言えば、まずは奥方が挙げられましょう。照れくさいので人前では決して言えないでしょうが、やはり愛妻が一番大切な人のはずです。

次に好きな異性と言えば、もし女のお子さんがいれば、そのお嬢さんでしょう。続いて、御母堂がいます。他にも会社や近所にいて、共に行動している仕事仲間の女性たち……。

女性から勇気をもらって生きている

そういう人たちは「恋」とは関係ない、と言うなかれ。ちょっと想像してください。あなたの奥さんが急死したら、あなたは明日から氷の世界に突き落とされますよ。可愛い娘さんが死んでしまったら、生きる意欲が半分そがれてしまうでしょう。あなたを取り巻くありがたい女性たちのお蔭で、勇気をいただいて生きているのが、あなたではありませんか。

オヤジの恋も甘酸っぱい

お断りしておきますが、若者の恋とオヤジの恋とでは、「会いたい、見たい」の質が全然違います。それは人生に対する理解の質と量が全く違っているからです。

愛も恋も、各人の人間性の上に成り立つ独特のものでありまして、この世に二つと同じものはありません。オヤジの恋だって、スリルもありときめきもあります。甘酸っぱい切なさは恋の最大の特徴です。

節度はあるが、濃い

恋は精神の若さを保つ秘訣です。恋する者には生き生きとした魅力があります。とはいえオヤジは、失楽園のような「もの狂い」には走らぬのがルールです。家庭崩壊をもたらす生臭いゴタゴタは、オヤジの良識で回避すべきです。

節度ある恋の形というのは、偽善ではないし、濁った恋なのでもありません。若気の至りで破滅に突っ走ることをしないのは、恋が薄いためではありません。むしろオヤジの恋は、濃いのです。生殖本能に密着していない分だけ、より多く精神的な濃さを持っています。

オヤジの恋は魂でする

もともと人間の恋は、その本質が文化的な行為なのです。ヒトの性本能は著しく低下しており、ほとんど想像力の産物と化しています。発情期がないのはそのためです。オヤジたちの人間関係も、リビドーとしての性本能と無縁ではいられません。

「恋」という言葉の意味合いを、買春とか浮気とかいう低俗なものに限らないで、もっと人間的で温かく豊かな人生の在り方と関連づけてとらえればいいのです。

男女は互いに敬し合い、慈しみ合う心で楽しく付き合いましょう。色気は絶対にあったほうがいいのです。ウィットに包まれたグレードのある色気が。「粋」という色気を見直しましょう。男はいつまでもダンディーでありたいし、女にはチャーミングであってほしいものです。肉体でなく魂の恋が、オヤジの恋の本流です。

このエントリーをはてなブックマークに追加