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脱インスタント!ホンモノを知ってこそのインスタント利用術

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2014.03.16

世の中はどんどん便利になって「カンタン」「使いやすさ」「すぐに・・・」といったキャッチフレーズの付けられた商品が無尽蔵に生み出されている。

繰り返しになるが世の中は便利になった。なのに人々はどんどん忙しくなっていく。

忙しいのは現実なのだから、簡単に手早く済ますことのできるものは重宝される。多忙な社会において「時短」は美徳でもある。

また、今まで操作が難しく知識の習得が必要で、専門家のものだったが、使いやすくなって一般の人にも普及したものも多い。

たとえば、いままで操作が難しくて特に女性には縁遠かったカメラはデジタルカメラの登場によって、今や持ってない女性のほうが珍しい。

さらに、かつてはインスタント食品はカップラーメンぐらいしかなかったが、パスタ、白米などバリエーションも増えた。料理が苦手、したくない独身者でも自宅での食生活は寂しくなくなった。

ちょっと心配なのは、あまりにも世の中が安易になって、インスタント化しすぎてはいないだろうか。

選択の幅が広がったのはまちがいなく良いことである。自分のライフスタイルに応じて選べることにより人間はより豊かになれるはずであった。

しかし安易でインスタントなものばかりがもてはやされ、知識やスキルが必要になるものはその費やす時間と難易度のために表舞台から姿を消していく。デジタルが優秀で、アナログは文化的遺産でしかなくなっている。

大きな時代の中で考えれば失われていくものがあるのは仕方がないし、実際に多くのものが失われてきた。

しかしながら、失われていくものは長い時間をかけてとつとつと失われていったのに対して、ここ最近では、インスタントなものに取って代わられたものはあっという間に失われていく。

失われていく過程が長ければ、その存在価値を改めて見直すことやその歴史を見つめる時間もある。しかし現代社会では情緒もへったくれもなくその消失は突然やってきて忽然としている。思い出されることは稀である。

世の中は「インスタント」化している。インスタントな感動、インスタントな出会い、インスタントな恋愛、インスタントなセックス、インスタントな人生。

我々は気づかないうちにインスタントなものを享受し、そして満足してしまう。それが本物や本質とはかけ離れたものであっても、その事実を知る術すら失ってしまうのはとても怖い。

不便なもの、古いもの、歴史、文化、インスタントな何かが生まれる背景には必ずこういったものが存在する。確かな手ごたえをもって使われ、読まれ、受け継がれてきたもの。

物事の本質に触れる機会をこれ以上少なくしてはならない。もちろんインスタントなものは我々の生活に欠かせない。利用しつつも大切なものは守る。大人の男としてその違いはしっかりとカラダで覚えておきたいものだと思う。

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